記稿.2018/12/28
> 今や感情の豊かさをヒトの物差しにしてしまっているのが現代である
‥ところがどうだろう
どうして感情の豊かさの有無があるのかを宇宙的に問うてもそこに価値基準が無い事に行き当たる
‥なぜなら、計画側の実験の目的のそもそもが
エネルギーの創造による宇宙の拡大(過去と未来の拡張)だからだ
その為のエネルギー装置が「人類の感情」と言うことである
「少なくとも、その質を見比べるやらかしに人生の意味なんて無い」
‥さらに
その人間という器に、ヒトならざる魂を放り込むとサクッとヒト化する仕組みだそうだ
そんなことからも、そもそもの出来不出来が付きまとうのは通常である
> さて、気が付かれただろうか?
‥そもそもの目的が、エネルギーの拡大(創造)である
つまり感情のコントロールと発生ノウハウという事である(状況への反応、意識の切り替え)
そして、できの悪い奴ほど、感情エネルギー創生において、飛びきりであろうとの可能性大を期待させている
それが実験の真意なら、周りがクズばかりに見えても然したる不思議は無い
可能性の高いクズを実験に投入しているというだけの話だ
しかし然りとて
クズゆえに偏った感情にしばられ、しがみつき、感情の切り替えが伴わないのが日常だ
(怒りっぽい、ひがみっぽい、飽きっぽい、自慢したがり‥)
> 感情エネルギーの創生&効率に欠かせないのは、感情への対応を磨くということに尽きる
> 誰かのウケウリ、オシツケにしても‥間に合わせとばかりに、そこからのオリジナリティが得られないなら
> リピートするしか能の無い価値反応マンネリということだ、それでは未来を呼び寄せるに及ぶまい
(リピートがまるでダメと言うことではない、反抗期は大いに歓迎されている)
(しかしそのままリピートでも先が無い、節目節目で切り替えが伴わぬ鈍感では乏しいばかりだろう)
(多くの場合、切り替えが下手であり、切り替えない理由を探すのに四苦八苦のパターンである)
‥経験的に疲弊するだけの感情ポジションでは、どうしたってエネルギー創出&効率が伴わないということだよ‥
疲弊と言っても、好き嫌いで言えば好きな方だよ
だが、相手を疲弊させてるようでは、感情エネルギーにおいて創出されたとはとても言い難い
集団になればなるほど、その手の多様化に対する柔軟性が求められてくる
飛びきりの可能性を有したエネルギー的にクズを、折角、地上に投入しているのだから
殊更に、その辺の集合的な色合いが問われていることに変わりは無い
(計画側の要求は最高に貪欲だ)
しかし人類の多くはその手の方向には、どうにも無関心を決め込んでいるクズが多い
自分だけの好きだけが成立できればさえ‥しあわせの創造‥に思い込んでいる節がある
斯様な気持ちを積み重ねても、泥泥オイルばかりだろうよ
(まぁ元々がお互いにクズなんだからその程度と言うことなのだろう)
(そしてそのままに、時間軸拡張せざるクズ単純な感情(未来)にしか及ばないという事である)