↓1)向宜詠吟.2019/01/01
人として人らしく生きるには目標が必要だ。
だが究極的に、目標なんざ有って無いようなモノだ。
それでも、旗印を掲げて生きられる者は無敵だ。
ところが、どうしたことか‥多くの者はそのような生き方が下手だ‥
そこで多くは拠り所を探して生きることになる。
旗印を掲げて生きられる者を頼るのだ。
ところが、どうしたことか‥旗印を掲げて生きる者の中には、人が集まってくることでブレる者らも多い‥
その煽りを受けるのは当然「拠り所」を頼った者らとなる。
その者らの次に求めるのが「救い」と言うことになる。
そして人々の願いは盲目的に「正義」を唱えることになる。
本来、宇宙に生きるにおいて、善も悪もない。
正義を求めるように変わったそもそもは、目標を自由に保てない弱さからの要求に過ぎない。
正義を唱える裏には、自由の制限を求めた(積み重ねた)も‥同然の因果があった。
しかし、自分らで自分らの制限を望んだも同然にあれば、それにも又、善も悪もないだろう。
ところが、搾取される事への暗闇だけは御免被りたいと思っている。
だったら、自ら目標を掲げて生きれば善い、それを積み重ねることだ。
さすれば、正義もクソも必要ない。
自らを拠り所にできるとした公平だけが最優先されるべきに気が付くだろう。
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