↓4)記稿.2019/02/03
宇宙とは、即ち途方もなき意識体である
その時、宇宙が永遠に無いならば、宇宙の可能性とて、極めて低迷の範囲というオチになる‥
(私たちはそれを信じているだろうか?)
宇宙が消滅するかどうかは不明だが、私たちの住む宙域が造形物でしかないとしたら
エネルギーの増減で崩壊する可能性は想定内と言えるだろう
それにしても、途方もなき造形物である
それは、例えば‥原子の大きさの比率で、ヒトが太陽系をいくつも創造し得た程だろう
> 人間が「不老不死」を望むなら、まずは、その絶対条件に置かれる「宇宙の永遠」を肯定する必要がある
> 「不老不死」そのものの証明は不能だが、私たちの居る宙域が造形物なら「不老不死」が前提になるだろう
では、「私たちの宙域は天然だろうか?、それとも被造物だろうか?」
‥しかしまずは、ここで考えるべき注意点が生じている‥
宇宙が意識体で、宇宙が永遠に非ずなら、宇宙は私たちと同じに迷いを抱えた存在と言えるだろう
ならば、銀河系同士の衝突とはなんだろうか?
地球にしたとて、いずれは太陽に呑み込まれて崩壊するという
日本列島にしてもいずれはハワイと衝突などと語られている
(ハワイの方が先に沈下してしまうかもしれない可能性を問わずに、対岸に位置する島との衝突も無い話だが‥)
多くの人類は、宇宙や自然を非意識体として見下しているので、ずぼらに思考する癖を持つということだろうか?
しかし、宇宙や自然を「意識体」として見直すなら、様々に回避しようと試みているはずである
‥回避できないとしたら‥敢えて回避しないとしても‥
我々人類側の思考には、往々にして憶測が含むだろう
仮に、訪ねてみた返答に「うそ」混じりにしか答えようとしないばかりなら
宇宙の誠実の程度は知れていることになる‥(人類は信用に値しないということだろう)
‥多くの人類は、宇宙がその程度の知性にあることをおそれて、敢えて非意識体と見下すのかも知れない‥
又、見下して居らずとも、日々日常におけるお付き合いで、いちいち擬人化ながらに向き合うほどではない
もしくは、都合の良いように全知全能の扱いで、お願い事をねだるばかりだろう
> だが所詮、人類がその程度の意識でしか宇宙を見ようとしないなら、宇宙だろうとその程度にしか見えないままだ
> もとい、その程度にしか向き合わないままだ‥(お茶を濁しただけの科学観では、宇宙の摂理にはほど遠い)
‥我々の宙域が造形物と言うことに成ると、そこには創造者が存在することになる
彼らは明らかに意図を有して、我々の存在する宙域を創造したと言えるだろう
しかし、勘違いをして貰っても困るが、彼らは全知全能などでは無い
されど、人類よりは途方もなき叡智を有している
そして、実験結果や創造結果に対する感想は、人類より途方もなくクールだ
そこに共通するだろう心理とは、「又やり直せば良し」とした命の都合と言うことになる
即ち、創造者側には「不老不死」が存在して然るべき前提だ
> では問おう、不老不死として宇宙に漂う意識体の経緯とは‥どんなだろうか?
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