2019年03月26日

【炎上】美少女の定義(美少女とオタクと集合意識)

↓3)記稿.2019/03/25

 ‥その昔、日本は、江戸時代に横並びにも「儒学」を軸に学んでいた
 教育の方向性が一択だったお陰で、全体としては、そちら方向に意識が順応していた
 難しい言葉にしても、不思議とすらすらと覚えられちゃっていたのも
 このような集合意識レベルからの感化による効果が大きい

 ところが、これを多様化にバラしたのが、黒船以降〜戦後以降〜バブル崩壊以降と言うことになる

 ‥実を言えば、「自由」を軸にする方向は
 段々と集合意識からのサーポートが目減りする方向だ
 そりゃそうだろう‥個単位への共感なんざ高が知れている
 だからそうなると、「儒学」とした大船に乗っかっていれば良かった頃とは異なり
 個の単位で、素晴らしくあくせくしないと生き延びられなくなる
 (そりゃもう大変だ‥簡潔に言えば、グローバル傾向に見られる認識のバラバラでもある)


 ‥それでも、多様化の結果
 一極化していた時代に見られた美人像と言う奴に変化が訪れた
 当時の美人像と言えば、武士好み、軍人好みがもてはやされ、恭しさが好まれていたことだろう
 女性にしても不思議と其に対して特に異論を抱いていなかった


> ところがである、今や崩壊している
> それを果たしたキーワードこそ「美少女」だった


 ‥美人、美女になくなぜか「美少女」だ
 ‥乙女でもなく大和撫子でもなく不思議と「美少女」だ
 そうなったのも、オタク文化によるところが大きい

 とくに「エロゲー」台頭以降の時代において、「美少女」は定着した

 その圧倒的な得体知れずの時代の空気は、一般に「萌え」と呼ばれるようになった


> 「美少女」「萌え」「カワイイ」
> 果たしてそれらは本物たり得るだろうか?
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2019年03月23日

【妄想】ゲーム機の向きと不向き

記稿.2019/03/23

> ニンテンドーWiiというゲーム機があった
> 「特殊なコントローラ」×「大きなお家」×「大型画面」前提のゲーム機だった
> 時はサブプライムローンバブルに沸いていた
> 海外からの任天堂への投資が絶頂だった


 そんな中、ソニーは独自回路路線まっしぐらだった
 プログラマー泣かせのそんな流れにありつつも、好評を得ていたのがポータブル機だった

 ‥そのような事からも
 ソニー製ゲーム機は個人向け
 任天堂ゲーム機は家族向け
 とした棲み分けが、おぼろげに発生していた


 ‥時代のバブルが弾けると、やって来たのが
 iフォン→スマホの流れによるポータブル機ゲーム路線の延長だった
 ゲームの世界は圧倒的に個人用途の流れに切り替わった

 不景気への突入も絡み、任天堂の家族で遊ぼうリッチ路線はあっけなく後退した


> ‥冷静になって考えてみれば当然の流れだが
> 当時はゲーム機一つからここまでの推察はできていなかった
> 投資家の方がずっと目ざといというか、用と不用の真贋が↑って事だよな


 そんなこんなのバブル崩壊の流れもあり、ソニーも腹を括ったらしく
 独自路線を捨てて、プログラマー向けの開発環境寄りに切り替わったらしい
 それでも、プレステの印象は、「3」時代に植え付いてしまったマニア路線感は残ったままだ


 ‥任天堂はというと、少子化の流れもあり
 以前ほどに家族向けとしたインパクトを打ち出せていない(ポータブル機需要全盛)
 しかし、この先にある高齢化の層は、ゲーム機世代の初期の層に入り始める(世界中で)
 適度な運動を兼ねた発想はそれなりに復活できそうな空気にあるようには思われる

(まぁそれにしたとて、お一人様が一人暮らしの空き部屋でゲーム相手に運動する‥程度か‥)
(4k画面を無駄に据え置きしているというのも、購入の動機としては弱いだろうし)


> ゲームで運動を考えると


 「ポケモンGO」のスタイルが挙がるが
 社会現象としては、色々と行き過ぎたトラブルが発生しがちだ

 どうせなら、四畳半サイズの歩行マシンでも作り出して
 それをコントローラにして、サバゲーぐらい遊べる程が要求されてくる

 地球マップデータ上の好きなところに降り立った気分から
 歩き始める‥なんて想像にしても、その手の体感コントローラは必要になる
 略して「体コン」だ


 ‥「歩行運動移動検知型体コン」の課題は
 特定の境界位置から先に対して
 進んだ分だけ足元が後方にさがって、常に身体の位置がコントローラのまん中に位置することだ
 大型画面を前にして移動せずに画面を見ることができないのではお話にならない

 所謂、ルームランナーの全方位型という位置づけになるわけだが

 進んでも進んでも前に進めない幻覚の術マシンとした位置づけでもある


> しかしまぁそんな遊具があったら
> 仔犬とか仔猫とか赤ん坊とか、外に出られなくするのに超発明である


 遊具としては、床全体がパネルでもあり、映像が変わる程にあるとたのしめそうだ
 (この場合は、天井から投影する形式になるだろうけどね)



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2019年03月21日

【詩】私たちは、それを「失敗」と呼んでいる

向宜詠吟.2019/03/21


失って、踏みにじられて、いつの間にか‥「報われたくて生きている」
どうしてそんなにまで思い詰めただろう


自分の思いつきが、力量が‥太刀打ちできなくて
「絶望」を拒絶するがあまり‥また一つ、自分にうそを付く

「希望」を振りまいても、現実はどうしようもなくかなわない
何一つ楽しみも無い、生き甲斐も無い
何か一つ‥それらしきを見つけるのがそもそもの精一杯‥

‥その一つに
‥どうしてか、どうしようもなく
‥しがみつきたくなる衝動がやって来る

‥なんてみじめさだけだろうか‥(そこには笑顔が無い)


そんな風では、誰からも相手にされることはない
でもだからと言って、どうしようもないほどの渇きが襲うのだ

そしてまた、一つ‥「絶望」を見つけることになる

「希望」の中で生きていたい
どうしたら、そうなれるだろう‥



ヒトは、常にそんな空気を常日頃から醸しだしている

時として落ち込むと、いつもそうだ
希望通りに行かないと、いつもそうだ

なんと「幼い」
否、それこそが「無垢」と言うべきか‥
否否、自分のことしか頭に無い「エゴイスト」だっ

だってそうだろう

‥「希望」の中で生きていたい、そこには、想定外を好まない性質がある
そもそも、どうして想定外が訪れるのかを問うところがない
こまごまとした面倒はすべてお任せで居たい‥「あなたはそんな顔をしている」
そういうことは、すべて考えないで生きていたいと願っているままと言うところだろう


想定外をどうにか克服することが「希望」たるなら
なのに、お任せの心待ちでしかないなら、そりゃ望んでいるのは「絶望」だよ

‥そんなのはどうにも、「モルモットの構え」だからね‥

ここは「笑顔」のところなんて頭でわかっていても、本音ではスルーバスだったりする
そんな他人の反応を気にしてビクビクしなくてはならない‥なんてのは
それだけ「希望」を欲張りしようとしているからさ


(希望は、いっぱいに有った方が好いと思っている)
(本当に?)


‥だってそうだろう
想定外を克服することが「希望」たるなら
希望の中で生きていたい通りに、無理難題ばかりが押し寄せてくるんだよ

それを見逃したり、自分のペースにできなかったりすると
自分にどうしようもなく腹が立って、腹が立って、自分にうそを付く
さらには八つ当たりに、丸投げだよ


そして自己嫌悪を繰り返し、「絶望」を突っ走る


どうにも見ていると、ヒトって実際そんなパターンばっかだよ
バっカみたいに、そんなのばっかのパターン落ちさ

まるで、想定外を愉しまないルーティンな日常こそを、しあわせだと思い込んだままだ
そうだ、私たちは其を「都市化」と呼んでいる‥もとい「都会砂漠」だ


‥だってそうだろう
愚痴を吐いてる時なんて、大抵が「想定内でやれっ」て事の要求だよ

そんなのは、瞬間瞬間に、臨機応変なモノの見方を見つけられないって事に尽きるだけなんだよね

とくに欲張る必要は無いんだ、欲張ろうとする癖から直さないとコツはやって来ないからね
天使がささやかないというか何というか‥そんな感じさ



‥もう一度確認しておこう
希望を求めすぎても、希望はやって来ない
まとめてやって来られても手が回らないのが普通だからね
だから、一つに絞らせるためにも絶望が与えられるのだ
普段から私たちは、それを「へま」「ドジ」「失敗」と呼んでいる

そして

それの揚げ足を取ることしかできないおつむなら、それこそ希望なんかやって来ない!!



> うた詠み終わります、ありがとうございました。



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2019年03月19日

【エンコード日記】AQ強度(0.6)と(1.0)の差のそこんところ

記稿.2019/03/19

> ‥AQ強度とは
> ビットレートの割り振りがされた後の
> 最終的な一つの格子の中での内訳における
> 微細に表現するべきところと、平たく解釈しても良いところとの割合の度合いを指す


 ‥で、一般に
 AQ強度(1.0)は、カメラの水準ということらしい
 カメラの水準と言うことは、一枚単位における輪郭の度合いを優先したい内訳という事でもある

 輪郭さえしっかりしていれば、後から幾らでも「味付け」のしようがある
 カメラでは輪郭こそが命と言えるだろう‥(よう知らんけど)


> ‥ところが、動画ではそうでは無かった
> 動画の場合に重視すべきは
> 「ぼかし表現」とした自然現象としての最たる風光の度合いこそを基準にすべきだった


 ‥それの差が、AQ強度(0.6)ということらしい
(黄金比差にあるようでもあるが、QP値との兼ね合いでもあるような‥)


 ‥例えば、月明かりである
 ‥「闇の中の動きで、輪郭は重要だろうか?」
 いいや、鮮やかさの方が印象に残るだろう
 だからこその「月影」とした言葉での表現がされるのである

 そこを輪郭優先でやらかしては
 月明かりに適った「ぼかし」現象は、端折られて処理されるばかりだろう

 ギンギラ映像ばかりを見ていると、やたらとシャープに整えたくなるわけだが
 そこに合わせてしまうと、ぼかし現象本来の味わいが失われてしまうのだ


 ‥静止画は一枚がゆえにいくら弄ったところで他のコマに影響を及ぼさないが
 動画はそうでは無い、輪郭ばかりに目をやると、風光の度合いで色が細ってしまうのだ

(HEVCだと、33方向に動きをチェックできるので、それなりにマシになると思われるが)
(AVCの場合は、そこまでの性能には無いので、ビットレートを割り振るだけでは対処しきれない)


> それはとくに、画面を暗めにした場合にはっきりするだろう


 暗くしても尚、輪郭だけがはっきりとしているなんてのは不自然すぎるのだ
 ビットレートの割り振りをケチるかケチらないかの差がそこに現れる

 AQ強度(0.6)にするとビットレートの割り振りが減るので
 その分、品質を調整してビットレートを多目にする必要が伴う


(このような解釈こそが、本来的にビットレートを正しく割り振るという事でもあると思う)
(単に圧縮効率が上がったと喜ぶのではなく、細かい所の変化にまで気を配るべきである)
(‥さすれば、パソコン編集の映像はせいぜい27型サイズなので)
(如何にFHDサイズで調整していようと、TVでのHDサイズ調整とさして変わらない内容になるっぽ)


 ‥まぁそのように対処して‥輪郭がシャープになるかというと
 そうでもなく、AQ強度(1.0)と比べれば、ふわっとした印象のままということらしい

(ダウンコンバートとの差というのもありそうだが、FHDで出すのはめんどいしFHD画面が無い)


> ‥動画エンコードの側で
> ぼかし現象と思わしき変化を繊細に仕分けて処理できるようにならないと
> 如何なる現象にも適切に美麗、且つ、効率の良い圧縮率を得るには至らないだろうう


 (何でもかんでもなだらかになるように、平均化で演算させればイイってものでもない)
 (HEVCよりAVCの方が良いと思ったら、微にそういう見方に成ると思う)

 ‥HEVCの場合は、格子の間の処理が細かい且つ格子もサイズの大きいのを使えるので
 AVCより強力に平均化されやすい傾向はあると思う

 (ゆえに、33方向を端折ったりしては、無残な結果にしかならないものと予想する)



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2019年03月16日

【説】井の中の蛙を‥気にする余りに蛙としての本懐を忘れる

↓2)向宜弁論.2019/03/16


「退屈」とは、何もしたくない依存の裏返しである
「多忙」とは、何かしたい依存の裏返しである

片寄らなければ、お互いの用は間に合うはずだが‥
諸々とした都合がつきまとうがゆえに、分離と好き嫌いにハマったままだ

‥依存とした状態に等しくなると
‥又そのような習慣を続けると、脳の反応が怪しくなる
‥「退屈」と「多忙」の二択しかないと思うようになる

脳にして、白黒とはっきりしていた方が落ち着くのだろうが
それは決して「私らしさ」をもたらすとは限らない
集団でそうなろうなら
それは常識へと定着し(思い込み)、やがては、民族的傾向にまで結びつく


そしてそう‥意味不明な伝承的偏見(重々しき不可解)にまで到達する


‥さほど依存したいわけでもないのに
依存に等しくならざるを得ない状況を作り出している侵犯こそ「競争」だ
昔で言えば「下克上」である‥その結果の「上下主義」である

今や、常に「便利の向上」になければならないとの思い込み競争が
こまごまとしたリスクを拒絶する性質を呼び覚ます

この時、一生懸命とされてきた概念も置き換わる(否、すり替わる)‥

持続・継続こそが「一生懸命の本懐」だったはずが
諸々とした技術台頭の末に、より積極的に成果を要求されるようになった
それもこれも生き残るために(否、何事にも未熟が付きまとうがゆえに)

そうだ、未熟を前提としているのが人類であるはずなのに、頭脳主義の音頭を真に受ける
そうだ、どいつもこいつも「名声に酔いしれたい症候群」だよ


‥「名声」がやってくるのでは無い、信頼を背負わされるだけの話だ‥


器に適っていれば、「痛快」かもしれないが
器に適っていなければ、「苦痛」なだけだよ
どちらせよ、「痛み」が絡むのだ

‥そうだ、その通りにそこには「格差」が巻き起ころう‥

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2019年03月13日

【エンコード日記】二度揚げの術(Main576p)

記稿.2019/03/13

> BDtsから576pに一度で出すより
> まずは洗逸NTRの設定のまま720p(Hi 4:4:4 10)でエンコード出してしてから
> その出した720pのファイルをさらに
> 洗逸NTRの品質を+1して(12)且つ 576p(Main)で二度揚げした方が
> 落ち着いた印象を得られる


 とくに、デジタルアニメでの文字情報表現に起こりがちな、文字ごとで異なる偏りのある色むらだったり
 グラデーションのもどかしさなどが、さらにプチ一段気にならないレベルに落ち着いてくれる

 この傾向は、洗逸NTRに限らず
 BDtsから再エンコードされたファイルから、さらに‥洗逸にて再々エンコードする場合の傾向として言えそうだ

 ‥再エンコードを繰り返せば、品質が落ちるわけだから+1するのは、まぁ見当だが
 そうなると、DVDの場合を考えると
 洗逸NTRの品質を+2して(13)ぐらいだろうか‥(もっともこの場合はアップコンバートになる)


 ‥AQ強度を0.6に下げたのが全体のぼかしのバランスに良かったらしく
 又、ビットレートが減量できるので、その分をビットレートの増分に回して、より細かい部分をカバーする
 という考え方は、実写映像に対しても効果を得ているっぽい

 (参照フレーム数(1)も合わせて効果を得ているように思う)


 「ウルトラマン」で言うなら

 炎や靄の揺れ方とか、反射しての映り込みとか、天然のぼかし効果とした現象に対して改善が見られる
 (とくに「ウルトラマン」オープニングの泡流水影の赤色での見映えが一段はっきりとする)


 さらに、M.E. 範囲(64)→(32)のままでも、当時感を得ることに成功していた
 心理的エンハンスにしても、標準のままでも問題なくうまく行くようになっていた


> ‥このような具合の違いのそもそもは
> 適正にビットレートの割り当てを多くできたことでの辻褄らしい‥(ただし実写の場合は、増量感が半端ない)



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2019年03月12日

【妄想】水素が始まらない黒い理由

記稿.2019/03/12

> 水素を作り出すためには水が必要です


 その水を大量に持っているのが日本です
 その水の利権をフランスに売り渡そうとやっきになっているのが、安倍政権の中核にいる麻生太郎でーす
 なんでも親戚のおフランス絡みが原発利権を失いつつあるので、別のエネルギー産業で食いつなぎたいとかなんとか
 ‥などという詳しく知らない噂話をネタに妄想しちまいましたz

 セメントよりずっと儲かりそうな話に

 フランスを絡めてルートを複雑にして、やらかそうという算段でしょうか?

 その為にはまず、日本の水利権をおフランス様に手にしてもらわない事には始められません
 日本のお財布を握りしめているからこそできる‥水素始めさせない指示・威嚇‥だったりしてな



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2019年03月11日

【エンコードレシピ】洗逸NTR(デジタルアニメ720pHi10)

↓10)記稿.2019/03/11

> 今回のレシピは、BDアニメ(1080pデジタル映像)を
> x264の720pのサイズにて、非大型テレビからの視聴再生並に美麗に寝取るのが狙いです
> パソコンからの再生視聴を前提 且つ 後にHEVCからもやらかしたいと含めれば、444-10もありでしょう


 ‥デジタルアニメの再エンコード地雷として、ぼかしを用いた表現がいくつかあります
a)ズーム効果を用いた手前と奥とのピント切り替え
b)光がほどけるような演出
C)動きを伴う陽炎じみた淡い色彩とその変化


 ‥それらは、実写の場合とは異なり、アニメの場合は想定された計算からの光彩です
 なので陰影としての密度が乏しい分、ビットレートの割り当てを誤ると途端に色の間引きが発生します
 つまり、色のトーン(グラデーション)がカクカク段々になったり、アンバランスに濃すぎたりします

 それらの正確さを如何に引き出せるかが、良質な再エンコードだろうとの解釈が今回のレシピです


> ‥基本的にエンコードの質とは、ぼかし方の程度の塩梅です
> そのぼかし方の程度がぶれていると、ぼかしを積極的に活用した表現に対して雑になるだけです


 (ぼかしの方向がぶれていると、高ビットレートを与えても上手く行かない要因たるだけです) 

 ‥その中でも一番に影響をもたらすのが参照フレーム数です
 ‥次が、静的なビットレートの割り当てと動的なビットレートの割り当ての差です
 ぼかしを用いた表現は、どうにも動的な扱いとしての感知が、気持ち一つ鈍いようです

 ‥そもそも、ロスレス画像群からなるマスター出しならいざ知らず
 BDtsからの再エンコードともなると、すでに、ぼかしによる適化加工済みなので
 さらにぼかしを加えてしまうと言うオチからはじめざるを得ないわけです

 それはもう、難所であるほどに、参照フレーム数を複数にしてしまう時点で理想には及ばないでしょう

 なので、ぼかし表現の激しい表現箇所については100%は有り得ません、どうにもお手上げ状態です
 (その代わり‥そこをどうにかしていく過程で他が段違いに良くなります)


> ギンギラギンのブラウン管テレビの印象とは、天と地の差である次第を思い知りました
> ↓レシピ貼っときます


 (その他アナログ系などの映像は未確認ではありますが、前回漸進内容にある実写用数値を併せて載せておきます)
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posted by 木田舎滝ゆる里 at 22:00 | Comment(0) | 洗逸しちゃうぞ | 更新情報をチェックする

2019年03月10日

【エンコード日記】心理的エンハンスのそこんところ

記稿.2019/03/10

> 動画エンコードにおいて、心理的エンハンスには謎が多い
> そもそも何をしているのかを誰も説明し得ていない


 なのに、規定値のままに使うとそれこそ、1.2〜1.5倍も増量してしまうと云う厄介者である


 ‥ところが
 「Psy-Trellis強度」と「Psy-RD強度」の値を揃えて使用することで
 思っていたほどに色みが後退しないことを発見っ!


 ‥さらに
 規定値にしてしぶしぶ使うと(どちらも1.00‥x264の場合)
 テレビの各映像メニューにおいて、適度な色合いで表示されるようになる

 テレビの各映像メニューなんてそもそもいじらないパソコンモニターオンリーの場合には
 殊更にどうでもいい話にも思えるが、放送を前提にしているがゆえの作りという事らしい


 ‥そもそも、パソコンオンリーだというのなら
 制限モードではなく完全モードにこだわるべきだろう
 でも誰もそこまでしようとはしない(自慢貸ししずらくなるし、区別管理からして面倒くさいからな)


> ハードの方だけでは調整できないところを、ソフトにツケを回したと言うことだろうか‥



 ‥しかしそれにしても
 昔のフィルム映像前提のテレビは、そんな器用な事ができる作りにはなっていない
 そこは、デジタル撮影された映像だからこその露光の良さ由縁みたいなもので、そこを勘違いしていると悩ましいことになる

 ‥逆から妄想すれば
 日本のテレビメーカーが、自分たちのブラウン管時代の色づくりを残したくて
 それぞれを発展させたのが「映像メニュー」のエトセトラという事かも知れない

 そうだとすると

 デジタル映像の方を如何にして、アナログ映像寄りに味付けできるのか‥という事だったかも知れない
 (ならば、テレビだけでなく、カメラのノウハウも入り交ざって来たことだろう)


 ‥結果、おいてきぼりを食らったのが
 元々の残したい願望の牽引役だったフィルム映像のリマスター出しだったことになる

 同じようにやるととんでもないことになるのは、予想に反しない
 (ニュースの昭和映像を見れば一目瞭然)



> ちなみに、心理的エンハンスを規定値で使った上で、期待する色みを得るには


 「参照フレーム数」と「M.E. 範囲」からの値の違いによる影響が大きいように思われる
 どちらかというと、Bフレームをやたらと多くしても、赤さが増すだけなので
 そこを規定値でどれほどにカバーしているのかにもなる

 ‥場合によっては
 「彩度QPオフセット」が勝手に作動して、数値を放り込んでいたりする(驚いたし)

 (勿論、この作動が‥バグなのかどうかについても調べようがない)



> 「Psy-Trellis強度」と「Psy-RD強度」の値を双方ゼロにしてエンコードすると
> 手頃な映像メニューは、ダイナミックにみられる明るい系だけだったりする


 ‥デジタルアニメ映像の場合
 制作側がすべての映像メニューに対応できるように色の選択をしているとは思えない
 ‥その点、多くのデジタル実写映像の場合
 色を選んで造り込むとした所作が無いので、逆にモード選択を求めるのだろう


 ‥そこの違いを考えると
 必ずしもすべてのジャンル映像が、映像メニューを前提にしているわけではない

 (万人万色向けに色みを気にしている人口比率はそれ程に多くない)
 (綺麗に見られりゃ、それ一択で良いとさえ思っているはずだ)



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2019年03月09日

【短歌】中二病国会症候群‥十四射

向宜詠吟.2019/03/09


|閣僚にならぶ顔ぶれサイコパス 反対七割でも基地づくり
|子づくりの下火にどや顔 麻生節 制度不足の主犯格


|国会を野次の場と化する拡声器 器の知れた空気議員
|事あれば「辞めろ」の声や社民節 会社で云えば切り捨て系


|得手不得手 補うどころか仇国会 権勢牽制与太憲政
|責任を吐かせたいけど不如意節 野党の弁や愚痴時雨


|悪退治ごっこ気分の右派と左派 中二病ばやりのまつりごと
|国民の期待も支持もまずお家 みんなで仰げば格差社会


|十億で牢を抜け出す花粉症「我は無実と‥」ゴーンの影
|リーマン級 下方修正「みずほ」から 不景気統計是にあり


https://toyokeizai.net/articles/-/270011
|「アラいざなぎ」も後退だとか政府づて 統計対応コソッと一手
|増税も景気のてこ入れ麻生節 どうにもニオウ葉巻臭
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190308/k10011839991000.html


|元号で空気を逸らし「いざ10%」只で済むまい秋列島
|むくつけきグラサン割れずテロ未遂 デモでやめとけ国会前



> うた詠み終わります、ありがとうございました。




posted by 木田舎滝ゆる里 at 17:57 | Comment(0) | 短歌・俳句・川柳 | 更新情報をチェックする