向宜詠吟.2019/03/06
ゲームの目的は楽しむことだ
人生ゲームの目的は、自らの手でしあわせを勝ち取ることだ
どちらともに
上がれないのでは詰まらない
行き詰まらないためにも手順を考える必要がある
その手順の仕方を考えずに端折ると、途端に行き詰まる
でも適当にやらかしているのが人類だ
それを自由とか愛とか言葉にして自慢げだ
しかしそれにしても、どうして適当にやらかすのだろう?
その行き詰まりこそが、ゲームながらの醍醐味でもあるからだろう
未知なる探求を推し進めるには、失敗続きの方がエキサイトできる
簡単なゲームでは詰まらない
しかし、トコトン行き詰まったからには切り替えが欠かせない
なのに人類は切り替えが下手くそだ
それはもうどうしようもない
優先順位としても、まずは「愉快」にあること、次に自分にとっての「お得」と来たもんだ
どうしようもなく行き詰まっていると分かっていても
切り替えなんて‥その又次の次のさらに次、いつまで経ってもありゃしない
しかしながら、私たちのしているゲームはそんな小さな規模ではない
高らかに「人類ゲーム」をしているのだ
そうだ「人類ゲーム」だ
全体として行き詰まったら、詰まらなくなるのは当然だ(勝ち負けではない)
全体として行き詰まったなら、手順を、殊更に慎重に慎重になって模索する必要がある
でも馬鹿だから、いつまで経っても適当に取りかかろうとするばかりにある
競争だとか、かけひきだとか、好きとか嫌いとか、体調がどうとか‥やる気がどうとか‥
それもそう、人生ゲームだとしか思ってない
‥意識が高いか低いかの差をゲームで語るなら
あなたが人生を、「人生ゲーム」と思っているか、「人類ゲーム」と思っているかの差と云うことになる
そうだ、私たちは「人類ゲーム」に生きている‥
> うた詠み終わります、ありがとうございました。