2019年03月21日

【詩】私たちは、それを「失敗」と呼んでいる

向宜詠吟.2019/03/21


失って、踏みにじられて、いつの間にか‥「報われたくて生きている」
どうしてそんなにまで思い詰めただろう


自分の思いつきが、力量が‥太刀打ちできなくて
「絶望」を拒絶するがあまり‥また一つ、自分にうそを付く

「希望」を振りまいても、現実はどうしようもなくかなわない
何一つ楽しみも無い、生き甲斐も無い
何か一つ‥それらしきを見つけるのがそもそもの精一杯‥

‥その一つに
‥どうしてか、どうしようもなく
‥しがみつきたくなる衝動がやって来る

‥なんてみじめさだけだろうか‥(そこには笑顔が無い)


そんな風では、誰からも相手にされることはない
でもだからと言って、どうしようもないほどの渇きが襲うのだ

そしてまた、一つ‥「絶望」を見つけることになる

「希望」の中で生きていたい
どうしたら、そうなれるだろう‥



ヒトは、常にそんな空気を常日頃から醸しだしている

時として落ち込むと、いつもそうだ
希望通りに行かないと、いつもそうだ

なんと「幼い」
否、それこそが「無垢」と言うべきか‥
否否、自分のことしか頭に無い「エゴイスト」だっ

だってそうだろう

‥「希望」の中で生きていたい、そこには、想定外を好まない性質がある
そもそも、どうして想定外が訪れるのかを問うところがない
こまごまとした面倒はすべてお任せで居たい‥「あなたはそんな顔をしている」
そういうことは、すべて考えないで生きていたいと願っているままと言うところだろう


想定外をどうにか克服することが「希望」たるなら
なのに、お任せの心待ちでしかないなら、そりゃ望んでいるのは「絶望」だよ

‥そんなのはどうにも、「モルモットの構え」だからね‥

ここは「笑顔」のところなんて頭でわかっていても、本音ではスルーバスだったりする
そんな他人の反応を気にしてビクビクしなくてはならない‥なんてのは
それだけ「希望」を欲張りしようとしているからさ


(希望は、いっぱいに有った方が好いと思っている)
(本当に?)


‥だってそうだろう
想定外を克服することが「希望」たるなら
希望の中で生きていたい通りに、無理難題ばかりが押し寄せてくるんだよ

それを見逃したり、自分のペースにできなかったりすると
自分にどうしようもなく腹が立って、腹が立って、自分にうそを付く
さらには八つ当たりに、丸投げだよ


そして自己嫌悪を繰り返し、「絶望」を突っ走る


どうにも見ていると、ヒトって実際そんなパターンばっかだよ
バっカみたいに、そんなのばっかのパターン落ちさ

まるで、想定外を愉しまないルーティンな日常こそを、しあわせだと思い込んだままだ
そうだ、私たちは其を「都市化」と呼んでいる‥もとい「都会砂漠」だ


‥だってそうだろう
愚痴を吐いてる時なんて、大抵が「想定内でやれっ」て事の要求だよ

そんなのは、瞬間瞬間に、臨機応変なモノの見方を見つけられないって事に尽きるだけなんだよね

とくに欲張る必要は無いんだ、欲張ろうとする癖から直さないとコツはやって来ないからね
天使がささやかないというか何というか‥そんな感じさ



‥もう一度確認しておこう
希望を求めすぎても、希望はやって来ない
まとめてやって来られても手が回らないのが普通だからね
だから、一つに絞らせるためにも絶望が与えられるのだ
普段から私たちは、それを「へま」「ドジ」「失敗」と呼んでいる

そして

それの揚げ足を取ることしかできないおつむなら、それこそ希望なんかやって来ない!!



> うた詠み終わります、ありがとうございました。



posted by 木田舎滝ゆる里 at 01:34 | Comment(0) | | 更新情報をチェックする