2019年04月14日

【詩】与え切るとは、待つことである

向宜詠吟.2019/04/14


「与え切るとは、待つことである」


あなたが賢さにうぬぼれたいと思っていたなら
どうしようもなくあなたの前でお馬鹿を演じて
どんぐりの背比べと思しき足らずな愚かさでさえ、賢く思い込ませて上げることである

‥では、彼の者はいつになったら、自らの思い込みに気が付くだろうか?
(実に骨の折れる待ち時間である事よ)


あなたが強さにうぬぼれたいと思ったらなら
どうしようもなくあなたの前でひ弱さを演じて
どんぐりの背比べと思しき足らずなムキムキでさえ、マッスルさを思い込ませて上げることである

‥では、彼の者はいつになったら、自らの思い込みに気が付くだろうか?
(実に骨の折れる待ち時間である事よ)


あなたが狡さに溺れていたいと思ったなら
どうしようもなくあなたの前で脆弱な世界を演じて
どんぐりの背比べと思しきイタチごっこでさえ、一時の興奮を思い込ませて上げることである

‥では、彼の者はいつになったら、自らの思い込みに気が付くだろうか?
(実に骨の折れる待ち時間である事よ)



主よ、あなたが本当に正者たる存在なら、わたくしに忍耐をお与えくださることでしょう
主よ、あなたが本当に公平たる存在なら、皆の者に忍耐をお与えくださることでしょう
主よ、あなたが本当は腹黒いだけの存在なら、皆の者に不道徳をけしかけるばかりでしょう


‥どちらにせよ、主は傍観者に過ぎない
主の待ち時間はそれこそ永遠である
傍観者の気まぐれを真に受けている内は、汝に誠の神の宿ることは無い

それは即ち、他人の目を気にせず 且つ 配慮する至遊(じゆう)を理解することである

ならばこそ、「待つところが無い」とした感覚は、ヒトとして自然体とは言い難い‥と言えようか


‥くだけた言い方をするなら
「待つ気持ちを破いた恋など、どうしようもなく腐っている」
とでも付け足しておこう



> うた詠み終わります、ありがとうございました。




posted by 木田舎滝ゆる里 at 16:04 | Comment(0) | | 更新情報をチェックする