2019年05月22日

【詩】笑顔下克上

↓2)向宜詠吟.2019/05/20


テレビの中の人たちは常に笑っている
テレビの向こう側には、常にわくわくした世界が有るものとして誘われる


「でもそれは本当だろうか?」


世界はいつもドロドロの小競り合いだし
経済はいつだって不景気におびえているし
政治からして格差の保障しか創造できちゃいないし

そもそものテレビの画面の世界からして、出演できるかできないかの下克上である

そうだ‥自由×正義とは、暮らしの成り行きを賭けた抗争である

それの割合の多い日常を
さも問題なさげに覆い隠さんばかりの笑顔は、本当に素敵と言えるのだろうか?
どうにも怪しいじゃないか


‥前向きかも知れない
‥でも勝ち嗤っているだけかも知れない
玉石混交にキャラクターが居て自由とばかりに誇らしげでも
中にはとても筋違いな‥「失言」なり「炎上」という魔物が雑ざっていたりする

どうしてそんなにも雑ざってるんだよ
そもそもの自由の方向性をその程度にしか解釈していないからだろう‥

別に「完璧にあれ」とは誰も思っちゃいやしない
わざわざ「余計なことを言うな」とした空気に酔いたいだけのところがある
それはそれで、無知なままに自惚れていたいだけにあるのだろう‥


‥だが、それら魔物を否定する感覚こそは
自由の前に「尊重」があるべきであり、自由が一番には成り得ないとした「同意」ゆえなのだっ


そもそもは、笑顔がないのでは始まらない


笑顔がない事で、息が詰まるし、何事にもモチベーションが上がらないわけだけれども
テレビの向こうの世界とこちらの世界には
テレビを遠ざけたくなるきっかけとしては、十分すぎるほどの隔たりが有る

‥そうだ、この世の‥もといテレビの笑顔ほど曲者もない‥

でも誰しもは笑顔に飢えている
テレビの受け売りだろうと、手にしてみたい欲求に誘われる


だからこその主張が、テレビに見られる象徴としての華やかさと云うことなのだろう
そして、それが象徴であればあるほどに真に受ける人も多い
(もとい、魔に魅入られるばかりだろう)
だからだろう‥誰しもは、世の中が素敵になることよりも自分が素敵になることを優先する
それが自由だと云わんばかりにである

それはそう

この世は人気取りゲームだから頑張らないと生きていけないと云わんばかりだ

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posted by 木田舎滝ゆる里 at 15:21 | Comment(0) | | 更新情報をチェックする