↓3)向宜詠吟.2019/05/27...20190526...
「人生に意味はあるだろうか?」
否、意味なんて無い、用があるだけだ
もとい‥用があってこの世に居るのだろう
「転生に意味はあるだろうか?」
意味なんて無い、用を見出しているだけだ
見出したから、生まれちまって居るわけだよ
用が無いと心底思ってたら、そこそこで果ててるだろうよ
とにかく‥残念にも転生に意味なんて無いからね
「核実験に意味はあっただろうか?」
意味はあっただろう、しかし用なんて無い
核分裂と言う奴が如何なる代物なのか‥そりゃ科学者の好奇心は募っただろう
やらかしたのが「軍の統制」もとい「資本の要請」にあったにせよ
知りたいと思うヒトの好奇心に蓋はできない
誰だって知りたいと思うのが本音だ
だが、それが危険極まりない代物だとの確認が果たされたなら、もはや用は無い
用があったとすれば、それは資本の回収が大筋だろうよ
(そりゃ回収したくなる仕組みにしかなっていないからね)
‥用は無いけど、お互いに脅しには使えるなどと考える輩にも用は無いと思うが
意味はあったとするのがここでの見解だ
「人類の性能テストに意味はあっただろうか?」
意味はあっただろう、しかし用に及ぶほどに無いらしい
用ができたなら、実験者や計画者側からの転生があってもおかしくない
用ができるほどの細かい点までを知り尽くしたいと思ったなら、そりゃ降りてるかも知れないが
そういう筋の話は、都合もあるだろうからなかなか明らかにされることがない
つまり
テストや試験に意味を見いだす側という奴は、至って見ている側である
現場担当になるほどの用を感じ得ないのが概ねの気質に思われる
されど、テストを行うには、テストに用を見出す存在がいないことには始まらないのである
しかしそもそものそれは
どのような用だったかの記憶を失って
なお実行できるかどうかなんてテスト用件を含んでいるわけだから
用があったことなど、とんと知らんのが通常だ
多くが別の用を見出して、生きることを凌いでいるのが実際だろう
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