↓4)記稿.2019/06/18
> ‥近年、ヒトを食べる物語ネタが目立つようになっています
> そこで交わされるテーマは、そのような趣向を持つ勢力は排除されるべきか否か‥
> とした討論会のような流れを醸し出すわけですが
‥ぶっちゃけ、それらは
うさぎさんがオオカミさんに、あなた方の行為は非人権的だッ
ねずみさんがキツネさんに、あなた方の行為は非人権的だッ
云々を騒ぎ立てる例えなわけですが
無理というか‥無謀というか‥やりすぎというか‥
どう考えたって、迷走の世界です
‥私たち人間からして同じことをやらかしています‥
そこを捨て置いて、さらに特殊な事例を持ち出されても開いた口が塞がらないのが感想です
> 基本的に、やりすぎている形にこそ、歪さを覚えるのです
‥例えば、独り占めはどうでしょう
個人所有を間違っているとは、多くの人は考えません
しかし、独占感覚は間違っていると思うのが日常です
(でも私たちはついつい所々で独り占めな態度をやらかしてしまっています)
(一番、常勝、連続優勝、右肩上がり‥などなど大好物な方は多いはずです)
‥例えば、狩猟はどうでしょう
野性動物に、食物連鎖が無いというだけで、生態系で起こり得るだろう予想は
自死行為なり突然死だったりかもしれません
そこには寿命とした概念がなく、突然にやって来る自然界からの調整に戸惑うばかりになりそうです
(だったら、逃げるとした選択肢を選べた方がわかりやすいわけです)
‥その逃げられなくしてあるやり過ぎとも言える取り組みこそが「牧場」です
でも、牧場ぐらしの方がお気楽と思っている家畜も多いことでしょう
何はともあれ、野生たる危機感を放棄して、リラックスできるのは素敵な選択支でもあるからです
野生のままなら、そりゃいつ襲われるとも分からない日常に置かれるのですから
それの視点からすれば、時期が来て潰される命運も致し方なしと言ったところでしょう
(でも、やっぱり嫌だから抵抗するわけです)
‥例えば、ペットはどうでしょう
家畜より扱いは格段に上です
でも、自分の食べたいものを必ずしも口にできているかというと甚だ疑問です
野生なら探さなければならない過程で運動を余儀なくされるわけですから健康を維持できる率は上がります
でも食べ物を得られなければ常にベストな健常を保てるとは限りません
が、野性動物を見ている限り、どうにもそのような心配をする必要は無いと、無意識のうちに誰しもはそう考えます
‥それはどうしてでしょうか?
ヒトは、そこまでの自信を、自然体を、とてもではないけれど持ち合わせてはおりません
その自信を持てない側のやらかしている安定供給欲こそが、どうにも野生を死に追いやっていたりします
所謂「環境破壊」です
この問題は、食う者と食われる者との因果より無慈悲で最悪を招いています
そのような人類に、食う者と食われる者の是非を問う資格などあるのでしょうか?
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