↓4)記稿.2019/06/03
> 一般にエネルギーとは、外にあるモノである、若しくは外から得るモノである
> でありながら、身体的には内から湧き上がるそれを望んでいる
> 内から湧き上がるそもそもとは何なのか?
‥まずエネルギーの対象を外に置くとしよう
すると
切望することになる
手に入れてみたくなる
真似してみたくなる
しかし、手に入れてみた途端に、どうでも良くなり押し入れの肥やしだったりする
そんなのは、得られたエネルギーが動機だけだった程度の裏返しだろう
‥それでも、生活的なエネルギーとなると継続が求められる
それら資源にしても外にある
私たちはこのようにエネルギーを外に求めがちである
‥外から持ってくると、無尽蔵にでもない限りカラになる
カラになるどころか、エネルギーのカスに対して無頓着なら、途端にゴミで溢れかえる
最低でも生体なのだから、うんこにまみれるのだ
それがエネルギーの辻褄である
‥手に入れたのはお金だったろうか?
‥それとも、人気や名声だったろうか?
この視点から見れば、お金とはうんこの類ということになる
(まさに光り輝くこがね色だ)
しかし、再資源化できなければ、それはニオウだけの塊でしかない
(うるさい蠅どもが集りに来るのだ)
> 外からエネルギーを頂いても、再資源化できなければうんこのままだ、ゴミとして残るのだ
> そして、齧られた方は瀕死の状態だ
> 助けなければ搾取である、共倒れである
‥エネルギーを取り込んだ方は、まぁ元気に見える
エネルギーを齧られた方は、元気が無い
だから、元気な方を見ては、あやかりたくなる
ところが
元気な方は、搾取しただけだからお返しなんて無理(そういう思考)
どうにかしてあげようと思えば、お互いに元気な内にどうにかするしかない
そうしないと、自分らが不衛生に侵されて、首が回らない因果応報に押しつぶされることになる
結局は、エネルギーを生みだしても、そこから生まれる何らかの因果に
自らのエネルギーを吸い取られる‥正態負態(作用反作用)になっている‥(うんこ恐るべし)
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