↓1)記稿.2019/07/01
> 強さは自信にはなれど、モチベーションたり得ない
なぜなら、強すぎれば煙たがられる
並びに、自惚れから来る退屈に、正義などという高邁な「志」は無い
(精々が‥無茶をしないで無茶を待っている程度だろう)
近寄ってくるのは、物見遊山な身の程知らずの挑戦者くん(格下)の方が圧倒的に多い
> 持てあます退屈を、どう凌ぐかが、その者の品格だと述べても言いすぎでは無い
‥孤高を通すのか?
‥チームを組むのか?
‥束ねて従えるのか?
強さを求めて修得し得た者なら、当然、他人に何かを求めるにしても能力ありきだろう
孤高を捨てて他者と組むにしても、その時に必要となるのは
「育てる好奇心」若しくは「壊す好奇心」のどちらかである
‥されど、強さを求めてそこに在るのだ、いつだって「挑発上等」だろうさ‥
しかし、強さは自身には成るにせよ
「力」には成っていないことを、そこに至って痛いほどに思い知るのだ
他者を動かせてこそ「力」を得たと思い込めば、モチベーションとなりしは「二択」だ
> ‥より大きく貪欲に強くなろうと望めば
> 目指すところまでの「育てる好奇心」に欠いては始まるまい
では、その先はどうだろうか?
‥得られた「力」を以て「壊す好奇心」に切り替わるかどうかは
ライバルの不在次第と言うことになろう
己の弱さをライバルとして来なかったなら、そりゃやはり「挑発上等」と言うことになる
己に弱さを感じて来なかったほどの人間離れにあっても同じだろう
‥そこに起こり得るモチベーションこそ、「挑発上等」である
挑発を受けて立てるだけの自信、もとい、自惚れに漲っている
> ということだから
> 国民が独裁者に喧嘩を売ることは、どうにもよろしく無い経過をもたらす
そんな自惚れ屋は、反応が返ってこないのがとても苦手
なぜなら、孤高を保つモチベーションが無い
己の弱さを疎かにしてきた裏返しとして
人を引きつけるよすがを「挑発上等」「洗浄ありき」以外に理解できていないのだ
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