向宜詠吟.2019/07/09
「愛」とは何か?
それは、自らを使い潰そうとする果敢なる欲求である
まず、何事も命を削らずには誕生するところが無い
たまたまの偶然などで、命や便利や暮らしが誕生するわけが無い
そこには、自らを捧げても惜しむことなき執念すら覗かせよう
されど、自らを使い潰そうとする果敢なる欲求は、単なる自己犠牲とは異なる
なぜなら、果敢なる姿には持続継続が極めて欠かせないからだ
そもそも、何に身を投じるとするかは自由である
決して死へのダイブの絡む連想とは限らない
だがしかし
それの挑戦が、実に効率的で、人を惹きつける魅力に事欠かないようなら
他を巻き込んで、自らどころか、周りをも使い潰そうとする勢いにならざるを得ない
そこでは「自由」が不足しよう
ならば問え、「愛」を絶賛することに意味はあるだろうか?
ならば問え、「愛」とは極めて個人的な挑戦意欲の博打的な願望たるのだと
願いを叶える為には、それ相応の選択と集中が欠かせない
其の拡大により他に強いれば「愛」ではなく「搾取」となろう
ならば問え、「愛」の名の下に「搾取」に繋がっていないかを
さらに問え、「搾取」する汗を以て「愛」を謳ってはいないかを
「愛」が圧倒的に自分勝手から始まるにせよ
「愛」が圧倒的に自分勝手を突き進むばかりでは、誰も支持はせぬ
「愛」が「愛」である為には、対象からの「ありがとう」の確認を求めるのだ
(見返りではなく、「搾取」にすり替わっていないかを確認する上でそれは欠かせないというだけだ)
‥しかしどうか
日常のそれは、見返りや成功は至極当然と考えられている
ちっぱい気持ちだろうとお役に立ってるから「当然です」などとは糞すぎるのだ
積み重ねも無い段階におけるナンバーワン願望など尚更だろう
それの矛盾すらわからずに、「愛」を叫ぶべからず
「ありがとう」に結実すること無き自分勝手な誠意を、決して「愛」などと自惚れるべからず
‥そしてまた、「ありがとう」の程度に酔うべからずでもあろう
自らを使い潰そうとする果敢なる欲求にあろうとするならば
常にその先へと挑もうとする貪欲にもあるべきなのだよ(スローライフなペースで)
> うた詠み終わります、ありがとうございました。