向宜詠吟.2019/07/17
自由恋愛とは、支配層が編みだした下層に対するガス抜きに過ぎない
男子は女子に女神を抱いて奪い合い
女子は益々現実的に旦那を尻に敷く
結果見よ、女子からして不能を切り捨てる空気を醸し出す
‥野菜ですら捨てるところがないとして
「切り捨てるだなんて勿体無い」を女子自ら貪欲に志すところが無い
(ああそうだろう)
斯様な女子であったなら、其を実現する為にもお家にこだわざるを得まい
自らが先頭に立つにせよ、旦那を支える側に立つにせよ
志あればこそである
人を平気で切り捨てるような社会には断固反対を示さざるして女子の本懐は成り立つまい
人を差別するような空気に反対の意を以て立ち向かうべき姿こそ女神にある
もとい、それこそが母性の姿として誰しもの心を揺さぶるのだ
ならば、自由恋愛に意味は在っただろうか?
もとい、自由恋愛の本質こそ目的に沿ったGETにすぎない
それの自由とは、何もロマンスに甘ったれた好き嫌いという事では無いのだ
どのような目的で選ぶかは自由‥言葉の意味としては単にそれだけだ
誰がいつからロマンス前提の甘ったれた中毒症を推奨するようになったというのだろうか‥
それこそ支配層の愚民化政策における心意気大作戦として‥語らざるを得まい
実際、無駄に愛を叫んでみたところで、齢を重ねれば、結果たる現実に対して冷ややかだ
それの集団的結果、益々の「切り捨て上等」の世界であって良いわけがあるまい
捨てるところなど無いとして
勿体無いとして
お互いに貪欲にならないのでは、それこそ昔話にでてくる隣のジジィとババァである
自分さえ気持ち好ければ酔いだけの自由恋愛たる願望に何の意味がある?
結果、お互いに「切り捨て上等」に対応すべく、いつでも腹を括っていなければならない
そんな気苦労との背中合わせに何の意味があるというのだろうか?
それの格差の果ての「路上切り捨て御免」事件に怯える羽目になるのでは
何とも無力な愛を信仰してきたと言うだけの中身でしか無い(何と残念)
‥それでも
結果、女神たる女子が志し果たそうとも「切り捨て上等」たる音頭は再びやって来る
なぜなら、上流社会の空気という奴はいたってお家の中のお家主義でしかない
常に莫大となる財産の所有に目が眩むのだ
それを自分のわがままの為に使おうとする空気は、愚民度が高ければ高いほど鏡似する
結果、いつの世でもお家主義こそが、ガス抜きとしての反骨自由恋愛の音頭役を果たすのだ
‥是の闘争から逃れたければ、甘ったれたロマンスに脳を打ち震えさせてはならない‥
> うた詠み終わります、ありがとうございました。