↓ 13)1 向宜詠吟.2019/09/08(追稿.2019/09/09)
|墨色の空を突き差す立葵
焼津市・「宇宙」焼津支部合同句会(9-6)
|青山を仰いでみたき立葵 戦乱の世に戦なき世を
*青山(せいざん)
‥日本古来の色彩で「赤」といえば「旭」を象徴して指しますが
なぜ緑を指して「あを」と呼んでいたのか?
それを立葵(タチアオイ)の語源から遡る説を発見しちゃいました
きっかけはこれです → 団扇を煽い(あおい)で欲しい
古来日本人は、空のような空間そのものを仰ぐ概念を持っていませんでした
仰い(あをひ)でいたのは「山」でした
山を見上げるように、立派に下から上へと咲かせるから‥
立って仰ぐ(たちあおぐ)ようだ→たちあおい→立葵
とまぁ向日葵も無かった時代ですから、立葵の姿に青山を仰ぐ趣を重ねたように思われます
(向日葵にも葵の字が連なっています)
ちなみに、葵の花そのものは仰ぐほどの形状には遠く及びません(種目が異なる)
ということからも立葵のあおいが「仰ぐ」から来ており、「葵」が当て字だったのです
つまり、緑たる青山を仰ぐことから、万緑たる山々を「あを」と呼んでいたのです
(ということから空気からなる遠近までを含めて「あを」と呼んでいた事になります)
> さらにツッコんで語れば
‥空(そら)なる空間そのものを仰ぐ概念を持っていなかったわけですから
仏教が伝わったとき、誰も「空(くう)」を理解し得なかったように思われます
だからこそ、「神道」とはまったく異なった視点で「仏教」をスタートできたと言えるでしょう
それはまさに、青天の霹靂だったに違いありません
(どちらかといえばそれは、見えるモノしか信じないからの脱皮だったかも知れません)
‥ではそうすると
神や占いが見えている人の割合が、人口密度の低さから普通だったとか??
見えずとも当たれば信じられるわけですから、その手の遺伝性は高いように思われます
人口密度が低ければ、どこそこに貝があるとして行って皆で腹一杯になれれば良いわけです
‥それが人口密度が高ければ高い分
たとえ言い当てていても、量が不足がちなら、役に立たねぇ婆婆とか野次られちゃうわけですし
喧嘩から派閥もできちゃったりして、占いの裏をかいて本来の意味を封印したりし始めるでしょう
当然、そうなってた頃合いなら、仏教の教えにカルチャーショックを覚えたに違いありません
信仰とかなんとか以前の話として、考え方の視点がまずカルチャーショックだったでしょう
(何にも無いところに安寧のよすがたる悦があるとか‥そりゃ驚いたでしょう‥とくに貴族)
(その空間に対する新たなる認識は、20世紀の相対性理論の衝撃に似たる所があったでしょう)
> 話を詠みに戻します
戦乱の世に戦なき世を 戦なき世を戦乱の世に
戦乱の世を戦なき世に 戦なき世に戦乱の世を
という風に「〜に〜を」「〜を〜に」それぞれで前後を変えるだけで意味が異なってしまいます
で、どちらの方がわかりやすいのかというと
「〜に〜を」の方に希求さへのよりインパクトを感じさせます
「〜を〜に」でも意味は同じでも、平文の棒読みのような印象です
‥まさに日本語ヤバイの良い例でしょう
(間違って翻訳されやしないかとヒヤヒヤものです)
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