↓ 13)1 向宜詠吟.2019/09/22(追稿.2019/09/23)
|郭公鳴く森のしじまを存分に
沼津市・潮音ひこばえ句会(9-20)
|郭公の渡る響かす杜の風 止むな聴かせよどこかな行きそ
*「な〜そ」に連用形をサンドイッチに挟むと、「〜しないでおくれ」「〜するな」の意になる
「な」副詞: 副詞解釈の「な」の方が扱いやすい。
動詞連用形: 例外的に、カ変は「な来(こ)そ」、サ変は「なせそ」
「そ」終助詞: 禁止。「な」が禁止を表し、「そ」は添えられた語とする解釈もある。
> カッコウが杜に渡って来ている
> 耳を澄ましていると、時折静まってしまうのはなぜだろう
>(獲物でも見つけたらどこかへと去って行ってしまうのだろうか?)
> お願いだから、このままこの場所でどこにも行かずに、その声をじっくりと聴かせておくれよ
‥ネタの句の言わんとしている着目はわかります
しかしそれぞれの言葉のニュアンスがどうにもぎこちないのです
まず、「や」と盛らずに「鳴く」としてあるのは
郭公が存分に味わっているようにも思え、気に入らなかったのでしょう
(味わっているのは、あくまで読み手の私だと、まるで断りを入れてあるかのようです)
その結果
「鳴く」と「しじま」がかち合うことになり
後に続く「存分に」がどことなく
「森にしじまなんか無いだろう、そこにあるのはお前さんの鑑賞の黙(しじま)だッ」
‥としたツッコミを入れて下さいと言わんばかりです
このような場合は、「鳴く」→「の」と放り込むのが短歌の上の句としては繋げやすく思います
|郭公の森のしじまを存分に
‥でも、「存分に」なんて盛り方は、大味すぎるのです
それは、読む側、聞く側が期待するのは、詠み手が次に何をしたかにはなく
「黙(しじま)」に着目したからには
其に余韻を求めるべきが、短歌ともなれば、空気として外せない趣だからです
(ネタは俳句ですから、そこまで求められていませんが、まぁ参考に)
↓/続きを読む/↓