↓ 13)1 向宜詠吟.2019/09/26
|心配を拾い集めて子を育て
静岡市葵区吉野町(9-24)
|心配を拾い集めて育つ子ら 笑顔をディスる時代になりぬ
‥昔と今の時代の貧の差とは
遊びがテレビゲーム中心で、其の中身が知識偏重である点に尽きる
しかも敵を倒すことが過程として付きまとっている
その倒した姿を、何も知らない3才児辺りだと「タヒんだ」と表現するほどだ
「やっつけた」「ぶっ倒した」とは表現しない
まず「タヒんだ」としか言葉の想像が及ばない
そこには、なんの死生観も存在しないのだ
ゲームの中で自分のしている行為に対するきちんとした善悪評価など持っていない
「死んだ」とする印象をそのままに繰り返し刻むうちに
‥どんな脳に及ぶのか‥まさに今の時代の有り様なのだろう
> 「失敗は死ぬ」に直結した単調な脳回路に出来上がっちまっているのかも知れないのだ
‥そんな脳と相対することになるのが
ゲームすらおぼろな貧育ちと言う事になる
‥なんという恐ろしい出会いだろうか‥
一方は失敗を恐れ、知識で武装して相対しようと掛かってくるのに
一方はニコニコとして、ただただ新しい出会いにきょとんとしているだけだろう
‥そして時間が経つうちに
自分はタトされたキャラとして、浮いた空気を漂うようになる
(特にこれとした得意を発揮できないなら、そのまんまヨーソローだ)
そしてそこに、今時の過激で意味不明な若者言葉が入り込むと
どうしたって、上下でしかものを見ない空気に溢れかえることになる
違和感を抱いていようといまいと、それに乗っかって生きていくことを強要されるのだ
> ‥考えただけでも窒息しそうだよ
> こどもにとっての今時代の親の格差は、もはや犯罪現場に等しいのだろう
> なのに、子供の頃から格差上等の上澄みに立つ側には、犯罪現場たる意識など持ちえない
‥その極端な方向性とやらの持ち主が全体の3%に達していると
社会性など十分に乱れて崩壊に向かうことになる
(社会性割れ窓化ということである)
‥とは言っても、まったくの逆もあるのだから世の中はわからない
ならば、それのバランスを超えて負の大きさが3%を上回ると‥と言うべきだろうか‥
それにしても、早い段階でゲームに齧り付かせると、そういう事にも成ると言うことだ
それは食事をしていればご機嫌だからと、与え続けることに等しい
(肉体が醜く膝から壊れかねないのなら、脳や心への影響だって同じと言うことだよ)
‥マンガアニメの世代と、生まれた時からテレビゲームありき世代とは
その辺の刻み込んだ深層心理がまったく違うという点を、さっ引いて推し量るべきなのだ
> ゲーム難度がムズくて進めないで飽きてしまうゲームと
> 時間泥棒だけでなんとなく楽しい成長ゲームが、同質だって事を早めに理解させるべきだろう
‥どちらともに、遊んでみたくてもやりきれるわけではない
‥それの延長した一つの現実こそ、絶対資本体制に及んだ格差社会にある
‥「競争」と「成長」をし続けることに意味は有るだろうか?
‥意味は無くても用があるなら、どうしたらより良く楽しくなるかを考え合うべきだろう
‥そうでなければ、それこそテレビゲームなんぞ人生におけるジャンクジャンルにすぎまい
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