2019年10月08日

【アイデア】ゲーセン廃して「eスポーツ向け塾」

記稿.2019/10/08

> ゲームセンターに再び倒産急増


 ‥消費税増税をきっかけにしたゲームセンターの倒産が急増だとかなんとか
 その割には、全国都道府県対抗eスポーツ選手権 2019とかなんとか


(そんなん時代かよ、ゲーム機下克上時代の空気を感じざるを得ない)


 ‥ということで
 ゲームセンター事業なんてたたんじゃって「塾」にしよう!

 ‥お高いゲームが、月謝で体験できる
 家でやるにしたって、ゲーム機は糞高いし、電気代馬鹿にならねーんだから
 月謝で済めば安上がりとした見方になる

(塾でしか遊べないとした環境づくりが切り替えを促す岐点にもなる)
(スマホでも遊ぶんだろうけど、切り替えの習慣を身に付けるには適当だろう)


> 尤も、その手の友人関係の有る無しがどのような変化をもたらすかまでは知らん
> ただひたすらに篭もってプレイするよりは健康的には思われる
> 何しろ月謝払うんだから、将来的にもお仕事が期待できるわけである‥(ここ重要)
> そりゃユーチューバーとはまた違った手堅さとして映るだろう


 ‥するとまぁ塾経営の鬼門として
 電気代を浮かせるためにも、ナチュラルな電力を求める事になる
 ナチュラルな電力は、被災時にはもってこいの存在感を発揮する

(夏場を考えると、そりゃもう結構な本気度で挑まないと賄えない)

 ‥っつうことで、地域トレード完了
 まったく以て、煙たがられることが無い
 コンビニが溜まり場になることも減るかも知れないz


 どうせだから、廃校の旧校舎とかガンガンに利用するのが流れになりそうだが
 そこはまぁ提携が求められるわけだが
 整備すれば、避難場所としても機能するかも知れないな

 ‥少なくとも、水の配給場所などに指定して定義づけてしまえば判りやすい
 となると、小型水力発電を並べて運用するのが適当になるかも知れないな


> さらについでだから、ドローンの操縦も塾にしよう
> こちらの人材育成だって外すわけには如何のだよ、ちみ
> というわけで廃校の存在感が大きくなるっすね



posted by 木田舎滝ゆる里 at 02:25 | Comment(0) | 日記/2019 | 更新情報をチェックする

2019年10月07日

【勝手句帳】r031(01-10-4,5)静岡新聞掲載分から


↓ 13)1 向宜詠吟.2019/10/07

|初秋の森に集いて短歌を詠む木々の緑に心さやけし
浜松市・アカシヤ短歌会(10-5)

|踏み入れば木々にさやけし風ぞ吹く あおく見えれど来たる移ろい


 ‥ネタの首にどことなく文学女子っぽい趣を感じたので、アレンジしてみた
 できあがった首を、女子が男子にそれこそ文学女子っぽく詠み渡すと次のような意味にもなる


> ‥私たちのお付き合いもそろそろ季節の変わり目を迎えても良い頃ですよね
> あなた様のお気持ちは夏のままですか?
> それとも紅葉の秋ですか?、それとも実りの秋ですか?
> 秋にも色々とございましょうけれど、この先のはっきりとしたお気持ちを知りたいものですわ


 ‥こげな受け取り解釈をAIができるようになるわけがないんっ


↓ 13)2


|近づけばさらに遠のく虫の声
沼津市・潮音みどり句会(10-4)

|近づけばさらに遠のく虫の声 確定性へのファンタジー


> ‥またまたそんなこと言っちゃって
> いつもの文学女子ながらの恋の問い掛けなんだからなぁ
> あーいえばこーいう感じにイタズラっぽく僕を試してくるんだから
> まさに見る確定姓へのファンタジーだよネっ


 ‥こげな返し歌をAIができるようになるわけがないんっ




 ‥虫の音が聞こえている
 さらによく聴こうとしたり、その正体を求めようとしたりして
 近づこうとすると
 途端にその進み寄ろうとする周りからは虫の音は止み、確かめたきは遠ざかるばかりだ


 ‥そこでふと思った
 これは不確定性に似ていると


 物事の測定に基準は欠かせないにしろ
 その基準となる測定ですら、誰もは其をそっくり同じ寸法であるとは言い切れていない

 なぜなら、ナノ単位レベルでの誤差はあるかも知れないからだ
 そんなことは、何にだって言えることだが

 ‥私たちの認識は、大凡であればことが足りるのだ
 しかし、科学的に魔法をやらかそうとすれば、きっちりとした計測が求められる
 だから精度の高い技術が成立していれば、確かさに確かさが加わるわけだが
 精度を扱う側が杜撰なことをやらかしていると、正確さは途端に怪しくなる


 ‥それらをまとめて「不確定性」と呼ぶにしろ
 だからこそ、確定性と不確定性の間には、私たちの認識の有り様とした壁がある


 ‥虫の音を追うにしても、そこには正体が居るわけだが
 遠くに聴こえて満足とするか、より迫るかは
 考え方や好奇心により差が出ると言うことである

(事象を発見する時、事象と好奇心が釣り合っているとも表現できるだろう)
(事象に出くわす時、事象と人物もしくは人類が釣り合っていたとも表現できるだろう)

 ならば

 技術及ばずに事象への確定性が遠のく時
 その事象もまた知的な生命体であり、正体を知られたくないから‥かも知れないな
 知られたくないから逃げるのだ‥(なんて風にも思えなくも無い)

(そんな風に考えると、科学もまたファンタジーに見えて来よう)
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posted by 木田舎滝ゆる里 at 23:56 | Comment(0) | 名句にポン/2019中途から | 更新情報をチェックする

2019年10月06日

【意見】責任を負っていない人はピーチクパーチク言えると言っては不正ありきを認めたも同然

向宜弁論.2019/10/06

世の中は良くも悪くも競争と焦燥で成り立っている
だから、誰しもは有利な世界に足を入れたいと思っている

例えそれがブラックだとしても、あやかれるチャンスがあれば掴もうとする
それは丁度、野生の獣が目の前にある屍(肉)を奪い合うような様相でもある

その手の生き様は至極当たり前なのだから、とやかく言われる筋合いは無いとさえ思っている
科学的な分野であれば尚更だろう

勝者に敗者が従うのは理屈だと思っている
先輩のしてきたことをゼロにして
自分らで一から組み立てるなら、その組織に属する必要も無いからだ
今在る優位存在を全否定していては、おいしい飯にはありつけない
苦労することが目的ではない、おいしい飯にありつくことが目的なのだ


‥誰しもはそう考えている、それが競争社会だからだ‥


つまり、競争社会では、悪意上等、悪意歓迎、悪意都合を許容している
教科書とは違った世界がそこにはある

そのような世界において、責任を負うとは
余計なことを言うと席がなくなるということを意味する
席だけならまだラッキーなことだろう
それが自分の命に関わることとなったら、それこそ無言を押し通すのが防衛というものだ
だから、競争社会では、社会に対する責任を責任とは定義し合わない世界に生きるのだ


では、何のための政治(治安)であるのか?


答えは決まっている、表向きの顔という奴である
そのような社会を腐敗構造と呼ぶわけだが
そもそもに腐敗を呼んでいるのは、そのような悪意自由ありき競争の仕方に問題があるのだ


基本的人権に即した思考をモットーとするならば
そのような競争の仕方に改善を求めるのが正論になる

なにも、旧来的なルールに則したままに古くさい人道論を問う無理を正論とは呼ぶまい
そもそもにして、そこには欠陥があり、イカサマがあり、旧来組織の根性が変わるわけでは無い

ならば尚更に、新思考も掲げずに正論など有りはしないのだ

しかし、誰もは諦めてしまっているかのように
競争の心得について問うことをせずままに過ごしていく

競争は当然だし、勝者が敗者をどうしようと自由であると言わんばかりの囚われの中にある
もとい、上司が部下をどうしようが自由であると思っている
それが競争の結果だからとさえ思い込んだままだ

それこそ、何でもありこそが本当の競争であって
それに備えて勝ち抜くこと(否定して叩き潰すこと)こそ美学であるかのように振る舞っている


(だから、日常の何気ない必要悪からしてそのままを許容したままなのだ)


何でもありで良いと思っているから、何でも無いのに救急車を呼ぶ発想にもなろう
使えるモノなら何でも使え、それが生き抜くことなのだから‥
それの延長が、政府の私物化と言うことだろう(同じことだよ)

そこでその手の思考からの開き直りとして

責任を負っていない人はピーチクパーチク言えるんですと言い出す
どう考えたって、不正ありきを認めたも同然の発言だ(もとい不道徳か‥)

でも、それをなぜか、みんなでヨイショし出すと訳が分からなくなる
どう考えたって腐敗万歳の三唱を唱えているキチガイのはずなのに

基本的に改善なんて求めていない立場なのだろう

競争には、勝者と敗者があって、弱者は強者に従うしか無い
折角、辛酸を舐めてきて優位を得て今があるというのに、なぜゆえに弱者を救わねばならないのか?

だから、弱者を弱者として扱うことに満足げにもあるのだろう
では、そのような強者側がなぜ開き直って弱者側からの結託リベンジを嫌うのか?

競争社会にどっぷり浸かってるんなら、歓迎すべきが筋のはずだが
でもそうじゃない、アンフェアー体質なのだ
それこそが、競争社会の本質だ

(元からアンフェアー精神だったわけだからそこまで腐っていても織り込み済みなんだろうけど)

しかし、不正ありきに誰もが納得しているなら、基本的人権などどこにもないただの飾りに過ぎない
民主主義でさえただの多数決だと思い込む始末だ

(基本的人権を蔑ろにした民主社会を民主化とは言わない)


そこにすり替わったように居座るばかりの資本主義は
まさに、神なんて居ないと飾りだけでの神社仏閣だろうと
儲かるならヨイショする精神構造で商売をやらかす精神なのだろう

‥基本的人権を掲げていながら
神など居らぬよって、神とはお上である
お上の沙汰こそ誠であるなどと言わんばかりの怠惰で横柄で売人権態度に納得など有り様が無い

結果、ピーチクパーチク言い始めるのは、人の口に戸は立てられぬぐらいに自然な成り行きだよ




‥でも、そんなピーチクパーチクに正論が宿らないのも無理は無い
なぜなら、公平の意味を問わずに
自由が良いと同じように端から言っていては、アンフェアーの側と同じ狢だからだ

(阿呆みたいに言うよな、自由を得るための聖戦だとかなんとか‥)

自由を求めて意見をするから、好き勝手言いやがってと反論されるだけで終わらされるだけだろう
(そういうものだよ、だって奪回するためにも競争している立場だよ)

だからこそ、好き勝手やらかしてる不公平な奴らに
好き勝って言って勝つには、徹底的に公平視点で立ち向かわなければならない
(辻褄として、そういものだから)

(アイデアなんてものは、公平たる思考を積み重ねた先に降りてくるモノだから)
(でもまぁ多くは自分のことしか考えられない程度だったりするからね)
(だって公平なんかより、競争に生き残るために勤しんでる毎日だからね)



> 修弁終わります、ありがとうございました。



posted by 木田舎滝ゆる里 at 01:24 | Comment(0) | 日記/2019 | 更新情報をチェックする

2019年10月05日

【パソコン】やはり買った中古CPUがおかしい

記稿.2019/10/05

> Ivy BridgeコアのCore i7規定のターボ上限は4.0GHz程度だ
> しかしどうか、中古で手に入れた3470Sは
> 初起動から4.08GHzを表示したりしていて、壊れているのかとさえ思ったっすよ(??)


 ‥それから逐一タスクマネージャーから確認をするのだが
 4.08GHzこそお目に掛からなくなったものの
 Core i5の規定のターボ上限にある3.8 GHzをサクッと表示するっす

 (ターボの平均が3.6 GHzという意味なのか?)

 ‥この差はグリスの塩梅なのかも知れないが
 銅軸が使い込まれることで、グリスと多少酸化反応したからとも予想できるが
 それならもっと冷やせば‥4.08GHzをサックと回せるのかも知れないが(冬場期待大)
 それはそれで、どうして中古に出回ったのだろうか?
 俺だったら記念に取っておこうかななんて思っちゃうわけだけど

 (しかし、低クロック時に見られるもたつき症状はなぜだろう?)
 (やはり4コア間のタイミング合わせが不十分ということか??)
 (その点ではハズレなのかもしれない)

 ‥ちなみに交換する前のG2020は
 規定が2.9 GHzだったわけだが、2.89 GHz以上回ったことが無く
 年々下がってきている傾向だったので残念だったわけだが
 それを電源の劣化かも知れないと思っていたわけだが
 そうでも無いことが発覚した

 (つまり以前のG2020のCPU側はハズレだったのだ‥)


> しかし


 中古3470Sの動画再生がおかしい
 大して動きが無いはずの部分で映像が乱れる
 なぜと思われる部分で乱れる
 巻き戻して確認すると何でも無かったりする
 かと思うとまるでどうにもならなかったりの場合もあるっぽ

 (VLC media playerだって最適化されてきているからありえない)

 ‥交換する前からを考えるに
 交換する前の Intel HD Graphicsがアタリだったとするなら
 こちらの Intel HD Graphicsはハズレらしい

 (とくにハズレにあると思われるのは、CPU×GPU間での割り振り周りかも知れない)
 (つまり、共に集積化されてるノースブリッジ部分ということか‥)


> ‥ということからインテルの歩留まりとやらを思うに
> 規定の数値からして参考値でしかなく
> CPUとGPUと割り振りの間には様々なバラツキがあり
> 当たるも八卦当たらぬも八卦状態にあるらしい(え☆マジ?)


 ‥当然、売り出すための辻褄を得ようとしたら下側であって上側では無い
 つまり高価格帯の方が下のバラツキがなくしっかりと規定値で回るが
 中価格帯あたりになるとバラツキが見られ、どちらにありつけるかはまるで不明の宝くじ状態

 ‥されど
 値はしっかりとしていても、無駄に電力喰いなだけが高価格帯かもしれないな
 だって、カネ持ってる奴前提じゃん、そんなの気にしねぇって扱いだろう
 (そもそもそういうワット傾向だし‥アタリを期待するなら中間あたりということだろう)


> ‥さすがはナノの世界(そういうものらしい)
> ±2ナノ程度の斑がどこに発生するかなんて所までは制御できていない
> その差が個体差として大きくでてくると‥(へへへ〜☆)



posted by 木田舎滝ゆる里 at 12:46 | Comment(0) | パソコン悩ましいZ | 更新情報をチェックする

【おしえて】サーキュレーターからESC信号が出ていて怪しすぎるのだが‥

記稿.2019/10/05

> パソコンの冷却と涼みを兼ねてサーキュレーターを使っているのだが
> こんな奴 → アマゾン画像


 ‥最近これのタイプの奴の電源を入れたり消したりすると
 パソコンが反応するんだよ(パソコンから案内音まで出る始末)
 どうやらESCキー反応を示すらしく
 開いて作業中の窓が途端に停止しちゃうってんだから、怪しすぎる

 (スリープの解除もやらかします)

 どうやったら信号を拾っちゃえるってんれすか?

 今まで無かったというか、今年になって引っ張り出してきた感じで
 以前にどうだったかは知らん、少なくてもそんな反応はして無かった
 2002年頃辺りに買った奴だから、その手の装置が付いてるとも思えん


 ‥しかも
 反応する時としない時がある‥(まるでわからん)
 水で丸洗いをガンガンとやっている内に進化したのか?(謎wwww)


> ‥まぁようするに致命的なバグって奴だよな
> 止まったらあかんでしょ
> ペースメーカーとか反応しちゃったりしたらあかんでしょ



posted by 木田舎滝ゆる里 at 00:47 | Comment(0) | 日記/2019 | 更新情報をチェックする

2019年10月03日

【勝手句帳】r030(01-9-28,10-1)静岡新聞掲載分から


↓ 6)1 向宜詠吟.2019/10/03

|木洩れ陽が川底までも照り透す高瀬川の水の明けし
焼津市・高草短歌会(9-28)

高瀬川(京都府) wiki‥京の鴨川の中途の隣に沿うように設けられた極浅の運河。
(高瀬川の地名は色々とあるが、ネタの首の該当はこれだろう)

 ‥まずは、詠み手の現地感でもある極浅の印象に適った「照り透す」を活かしてアレンジ
 著生は現地を知らないから、ネットから閲覧できる範囲での句作である
 (どうしたって歴史観を外しては意味が無い‥というか腰が無くなってしまうのだ)

|高瀬川 歩度の渡りを照り透す  *歩度(ほど)

|高瀬川 歩度の渡りを照り透す 散り染むる花の堰ぞ満覧

*満覧(まんらん)‥辺り一面が同じ趣で満ち渡っている様子。(著生造語)

参照:鉄道で行く旅・管理人のブログ

  鴨川と高瀬川のサクラ記事から抜粋:カット


 ‥ここではまだ
 先に用意したアレンジ句に、ブログで見た画像を参考に、下の句を後から取って付けただけの状態
 流れとして、上の句に花の景が無いので、下の句での唐突感が不満



|高瀬川 散る花をそへ照り透かせ 歩度の渡りの堰ぞ満覧


> ‥高瀬川の歴史をふり返るイベントの中でも春は外せない
> 高瀬舟を人手で曳くので、水量をかさ増しするための簡素な堰を設けるのだが
> ‥それが塩梅丁度良く
> 散る花を乗せて照り返す様は、透けた水と光と影のバランスが心地よい
> そしてその春のクライマックスとなる堰の様子がまた一面とした花いかだで華やぐのだ
> (今年もまた宜しく頼みますよ)


 ‥即興にて一発で詠めれば、それにこしたことはないが
 これではまるでAIの思考手順をなぞらえたかのような作りである
 これもまぁ時代の流れなのだろう(まだまだ人様の作り込みだから気にしなくて好い)
↓/続きを読む/↓
posted by 木田舎滝ゆる里 at 22:02 | Comment(0) | 名句にポン/2019中途から | 更新情報をチェックする