↓ 9)1 向宜詠吟.2019/10/11
|星流る出雲行きかもあの汽笛
静岡市・のぼる俳句会(10-8)
‥やぼにツッコむと
「汽笛」って大井川鉄道(??)
‥でもただでさえ赤字経営だ、夜はやらかさない
(そもそも夜半に到着しても、それこそ、川の上流は寝静まった世界で、宿は無いに等しい)
‥「出雲」行きって、あんた、東海道線で考えたって
大阪・京都・名古屋 ← 静岡 → 鎌倉・横浜・東京が想定内だろうよ
(昔はそんな時刻表もあったかも知れないが、俳句では無理っすから)
(生まれ育ちはエリア外ですってパターンもあるけどさ、ますます不明っすから)
|星流れ汽笛の先は我が田舎 焼け野だらけに不安がもたぐ
‥なんだよ終戦から一年も経つというのに
‥焼け野、焼け野、焼け野だらけじゃないか
こりゃ一刻も早く帰らないと、もらった軍資金なんかすぐに無くなっちまうな
(途中にどこかでのんびり羽でも伸ばそうと思ったけどそんなどころじゃねぇよ)
‥夜行を乗り継いで空を見上げれば、星が流れ去った
なんだか不吉な予感に、まさかと・もしもの場合の身の振り方を思うばかりだ
折角、生きて帰ってこられたのに、いきなりぼっちとか‥勘弁してくれよ‥
*復員輸送艦 wiki
復員輸送は1945年(昭和20年)10月から始められ、翌1946年(昭和21年)春から8月がピークとなった。その後は艦船数を徐々に減らし1947年(昭和22年)夏ごろまで続けられた。
大戦終結後にはアジア各地や太平洋の島々に約600万人以上の軍人、軍属、一般人が残されており、それらの人々の日本への帰還は急務の問題だった。
‥政治は米軍に接収されており、予算が立ったのかさえ聞こえてきた例しがないのだから
列島全体での復興はまだまだ先だったように思われる(知らん)
‥日本国憲法は、1946年(昭和21年)11月3日に公布され
1947年(昭和22年)5月3日に施行された。
> つまり、復員船の最後の方では、焼け野は片付け始めだしぐらいだったように思われる
> 初っ端に本土の土にありついた人らは、日本の敗北をまざまざと感じ
> 一年後に本土に帰還した人らは、瓦礫のまんまに唖然としまくり
> 後半の頃に帰還した人らは、復興が始まっている様子にそれほど悲観せずに済んだかも知れない
‥このようなテンポを思うに
駐留軍の落とすマネーが、横須賀に濃く偏っていた状況が、1年半〜2年ほどあった事になる
(戦後の占領を兼ね、横須賀には爆弾を落とさなかったので、横須賀はそのまんま機能していた)
‥シラミ問題などもあり、直にそんな横須賀にまで復員船が頻繁に停泊したかどうかは知らん
‥それこそ横須賀経由だったとしたら
博打で吸いとられ文無しで田舎に帰ったか、東京辺りで闇市暮らしに流れたかに思われる
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