2020年01月17日

【考察】資本主義、科学と経済(理系と文系)の間にある落とし穴

↓4)記稿.2020/01/17

> 科学は暮らしに豊かさをもたらすべきはずだった
> しかし、現実はそうになっていない


 ‥なぜだろう?
 科学がナノの世界に突入した辺りから不可解しくなっている


> そもそもの商売という奴は、「これってイケるんじゃねぇ」から始まっている
> そこは科学だろうとさして変わらない


 ‥「これってイケるんじゃねぇ」に、正義など1ミリも無い
 無邪気にも、やってみたいスイッチが入っただけの事だ

 ところが、理系の場合と文系の場合のそれはかなり違う

 理系の場合、事象においては何が起こるか知らないとした警戒がある
 だが文系の場合のそれには、「やってみないと分からない」とした誰かへの期待が付きまとう

(当然、やってみたいのは自分だ)
(裏返せば、やってみない後悔‥自分のせいだけは避けたい症候群だ)
(それの一番の先鋭(代名詞)は、ホリエモンだろう、つまりホリエモン症候群だ)


 理系の場合の敗因は、科学的に論理立てる(そうしないと、自分たちの安全すら担保できない)
 文系の場合の敗因は、誰かのせいにしてしまえの所がある(勢いとノリで面目を保てば良いとする)

(やってみない後悔だけはしたくないホリエモン症候群には、無駄に勢いとノリと面目とで騒々しい)


> ‥これの差を社会現象に置き換えると
> 日本企業の牛歩は、科学的姿勢が強い
> 中国企業の飛躍は、商売的姿勢が強い


 ‥しかしながら、どちらにも嘘が雑じっている
 それは投資が絡むからだ

 科学的見解を重視していると、期日に間に合わせることなど頭に無い(安全優先)
 一方の商売的見解には、期日に間に合わせることこそ信用とした日常がある(売上優先)

 ‥ところが
 投資家としても、科学的名誉を得たい症候群としても、期日重視の方が都合が良い一致を示す

 ということで

 てめえが科学に無知だから文系止まりである自覚も無しに商売は進行する
 一方で、商いに無知だからこそ理系詰まりである自覚は、経営を丸投げだったりする


 ‥これの二つの都合が、知らずと投資家に優位に作用してきた
 ところが、科学がカンブリア紀状態になると、投資家の多くは文系にあるので凍り付く
 科学がカンブリア紀状態、つまり、どの技術に投資したらより有益かを推し量れなくなるのだ
 それが文系の泣き所、まさに凍死家に陥るのだ


> だから、資本主義のお席の立場は
> 嘘を混ぜて、自分たちの判断が正しいとしたインチキな振る舞いを繰り返すのだ
> (それも面倒くさいと思えば、蛇口を牛耳れば良いとした悪ノリに奔走する)


 ‥すると不思議なことに、誰しもが景気指数だけで投資が成立すると思い込む
 その景気指数が、どのような計算と調査に基づくのかなど論外で
 景気指数の信用は権威と化して通るのだ

 (迷信にも、権威が押せばその通りだとして誰も憚らない)
 (誰しもは、なぜかそこで自らの無知をかわいがる)


 ‥理系であれば、如何なる数値だろうと、徹底した要素確認を要求するはずだが
 肝心の理系とて、権威には弱いので、不思議と経営の諸々の数値にまで首を突っ込もうとしない

 ‥数学者達が、高度な計算に基づいてリスクを分散したから大丈夫と言い放ったとて
 結局は、ハイリスクだろうとすべてを市場に投げ入れたのが商いの貪欲さ(リスク最大化)だった
 そこの心理にまでに首を突っ込まない
 (数学者は心理学者でないとばかりにその手の要素を排除して統計を図るのだ)

 ‥結果、リーマンブラザーズのせいになった
 (少なくとも投資側のせいという範疇ではあった)
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posted by 木田舎滝ゆる里 at 00:59 | Comment(0) | 科特隊どころか無理だからウルトラ経済大作戦 | 更新情報をチェックする