↓2)記稿.2020/05/23
> ‥本当の意味で能力主義なら、元敵方であろうとも
> 石田三成や小栗上野介はもっと尊重されていて良いはずだがそうでは無い
‥そうにはならない‥それが日本の歴史の闇(日本人の根っこの闇)
戦国の世なら敵の大将の処罰ともなると、「NO」なら打ち首は避けられない所だが
石田三成にしても、幕末の小栗上野介にしても、生涯一君にだけ使えるとした不器用な性格により
なんだかんだと似たような境涯で終わっている
(当時においてもこの二人の才覚は、ずば抜けていて、其を惜しむ声は今でも後を絶たない)
> ‥本当の意味で人権社会を考えていくと
> 元敵方であろうと、席を与える器が全体に無くては始まらない
ところが、そういった桁外れの才覚は、却って目の上のたんこぶの扱いになる
なぜなら、誰しもの興味関心は「才から学ぶ」とした日常からの好奇になど無い
あるのは、自分の席順、格付けとした周りの目を気にしたポジション選びに偏っている
それが競争社会の有り様としてなら、誰も「現場での矜持」に見向きなどしないだろう
むしろそこを突っついて、席順稼ぎとばかりに貶めるなり、追い出すばかりだ
(そして、手堅くもその口で手腕を発揮した輩の弁舌でしたためられた本を買って学ぶのだ)
(能力社会云々ほど、その手のハイエナ化のスパイラルでどうしようもない構造だ)
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