2020年07月02日

【是論】国券と銀行券のハイブリッド活用案

↓4)記稿.2020/07/02

> 金貸しの台頭する世界に公平な民主社会など存在し得ない(持論)


 一方、金貸しからしてみれば、金を貸せない世界など不公平そのものなのだろう
 なぜなら、自らの力を金に置き換えて誇示できるか否かこそ、平和的算段だと思っている

 そして、それを保ってやり繰りすべき気概は、(所詮‥必要なことである)

 宇宙的に見ても、どんな神にあろうと
 自らの限界に挑戦してはいけないルールなど有り得ない
 自らの力の過不足を知らぬ者に、見通しの立つ未来などやってくるわけが無い

 ならば、{備えられる文化}={鍛えられた文化}でもある

 即ち、上に立つなら、その気概として、文化強壮に貢献できる熱意と実体こそが前提だ
 とした理解が求められて然るべきである



1-4)1

> 国券と銀行券の違いを理解している人口比は高くないだろう
> なので、まずはこちらの定義を提示しておかなければお話にならない


 国券:返済義務を有さず、国民投票で決する事のできる案件であること。
 銀行券:返済義務を要求できる、同時に勘弁ありきでもあるが‥債権側の意向次第に置かれる。

 ※ どちらともに裸の王様であり、それの裏付けはルールに基づく
 ※ つまり政府は、無償融資の長でもあり、有償融資の長でもあるとした選択案


 ‥勘違い無きように念を押しておくと
 国券の課題点こそ、融資額の公平をモットーにすべきだが
 たちまちの内に利権絡みに押し切られかねない性格を帯びる
 なので、国民投票を前提とした採決を介すべき流れを提案しておく(むしろそれが筋)

 ‥具体的に詰めて行くと、コロナ禍のような事案でそれの給付金額を決めるべきは
 国民投票と言うことになるが、それでは即効性に欠くことから
 次のような形式を常時採用せざるを得ない


> 返さなくて良い融資用途金額を国民一人一人に均等に配布する(電子利用のみ)
> 是をここでは、是金(ぜきん)是額(ぜがく)是資本(ぜしほん)とした言い方をしてゆく
> まとめて‥是論(ぜろん)と称する


 だが是資本が、日常的に自分の為にも使えないのでは融資の名が廃る
 ならば、自分にも融資できるべきである

 (仮にここでは、その比率を{自分:世間}={50:50}としておこう)
 (年間100万円を国民投票で決したなら誰もが100万円の内訳を、五公五民で活用できる)
 (どこに融資するべきかは、各々の裁量に任される)
 (当然、それの融資額の分布の様子を、誰しもに公示できる形式を主旨とする)
 (なので、投資されていない是額があれば、探し出してお願いに行くのも競争だ)


> では、どうやると公平に自分への融資が可能となるだろうか?


 (自分への融資と云っても所詮は消費だ)
 (なので、それの利便性への消費を、そのままに新しいインフラの創造に繋げるべきである)

 つまり、簡潔に解釈すれば、個人消費での分割払い用途だ
 (それが慣習化すると、誰しもが是金での分割払いをやらかすだろう)

 ‥月会員制サービスでの宅食に投じる場合(ユーザー参加)
 是金からの分割払いとする形になるわけで(むしろそれ前提が主流になる)
 3ヶ月縛り、半年縛り、年間縛りでの会員制度ということにもなる
 そのようなパターンの応用をやらかすことで、合理的にインフラの創造と淘汰がされるだろう


> 単純に‥「将来の夢はインフラの創造」とした中身になる
> 単純な消費型ベーシックインカムとは、性格も次元もまるで別モノだ


 ‥一方で

 但し、そのような日常ともなると、持てる側からしてみれば面白くないだろうから
 給与からの分割払い利用でしか受け付けないとしたサービス枠の用意を否定しない

 (プレミアムとスタンダードの違いだが、従来と嗜好はさほど変わらない)
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posted by 木田舎滝ゆる里 at 01:03 | Comment(0) | 科特隊どころか無理だからウルトラ経済大作戦 | 更新情報をチェックする