2020年07月22日

【是論】是金×是スマホ×是アプリ=「公民お金でサイト」

↓12)記稿.2020/07/22

> 是金(ぜきん)とは、国民一人一人に公平に割り当てられる無償融資枠(提案)
> そこから、自分にも勤め先にも自治体にも「投票感覚」で投資できる
> (タンス移動不可&五公五民感覚の配分)


 元来、国防を担う兵を雇うために年貢が求められてきたが
 裏を返せば、「一所懸命」の由来に繋がるような土地の配分がまず先にあった
 ところがそれの年貢権を奪い合うようになってしまったので、より強力な守護者を求めた
 守護者は治安の維持に協力を求めて、より多くの年貢やら志願を課さざるを得なかったわけだが
 天下統一後、形式化した

 形式化したなら米が余りそうな話だがそんなことはない
 腐らない金銀とは違い、そこはやはり米でしかなかった


> 腐らせてダメになるぐらいだったら、使っちゃえの心理から外れることが無かった


 ‥それでも、お米はお金同然(報酬同然)だったので
 幕府も自力で開墾した土地の所有権を認め、年貢の総出来高を増やす策を宗とした

 つまり、それら開墾農地の所有に相当する保証ありきに置かれていないのでは生産力など覚束ない
 赤字→破産にて、折角の開墾農地ごと取り上げられちまうような話では後生である
 失敗してはリベンジできない空気しか残らないのでは、平和な社会としてのどや顔など到底無理だ


 ‥一方で
 戦で仲間を亡くすのは辛いことだが、逐一感傷してもいられないからと
 戦争も経済も同じとばかりに、何ら命についてふり返りもせず、学ばず、分かり合わず
 解雇感情に麻痺甚だしく
 される方にしても、敵愾心すらどこ吹く風の他人行儀自由の推奨では
 とても人間性に溢れた文化には見えてこない

 ‥抗うにしても、向き合う敵愾心と云ったら
 「政府側(しぼり役) VS. 市民側(しぼられ役)」とした

 すり替えられた民主社会の形が登場するばかりのオチになっている

 ‥敵が国家の政府だというのなら、そいつらは侵略者対象なのだ
 (侵略者相当をお上に戴いての民主社会など、それこそなんちゃってなのだ)


> なので、取り上げられる事にならないような足がかりたる仕組みこそが民主社会の絶対だった
> 国家が無償の融資枠を土地同然に割り当てる考えは、是からの常識とせざるを得ない
>(ついでにいうと、お米は腐ると云うことで、無償融資枠の是金は年度制限の時効を繰り返す)


 ‥ところで、そのセキュリティをどうするかが実に謎!
 コロナ禍で10万円を配るのですら、頼りにならない進捗度合いだった
 それをドーンとマンネリでやらかそう風情の話を誰が信じるだろうか?(世界中で)

 ‥それでも誰しもこう思っている
 「今時代の技術なら出来るはず‥」
 ‥それでも誰しもこう思っている
 「普通に現金を引き下ろせるような仕組みのままでは絶対に無理!」
 「騙し取ろうとする悪事をやらかす奴はいくらでもでるから‥」



1-12)1

> マンネリならマンネリで慣れもしよう
> だが、今の在り方だけで良いのかとした課題点ばっかりだ
> そこで突きつけられてくる条件が二点ほど‥


・ 分割払い買いと投資はできるけど引き下ろせない(タンス移動不可)
・ それぞれの使われ方の動きを、皆で俯瞰管理できるように公開制度であるべき


 ‥一人一人の意思で「投資を投票型」にしてやらかそうってのが是金である
 麻生太郎のようなキーマンが、威張って税予算を握りしめて
 中央集権化した椅子の上から偉そうにしている非効率制度の見直しである

 誰だって知り合い優先になるに決まってる(ただでさえお家主義社会日本)
(その麻生太郎のご親戚が海の向こうにまで及ぶときては、国民主権などだまし討ちにしかならない)


> 国会でやらかしているのは、誰がどう見たって、権利と予算の奪い合いのドツキ漫才である
>(見たくもねぇドツキ漫才を見せられて、搾られて、冗談じゃねぇよ)


 ‥一方で、すべてを競争に据えおいてやらかしちまってんだから
 それに文句垂れてる理想を抱いたままの人選論の方がある意味で「???」だ
(適材適所が全く見られない安倍政権にうんざりする程なら、始めから党閥競争こそを否定しろ!)

 ‥それが無理なら
 先手を打って、公平枠を含めてやらかすべきである
 そうでなくては、いつまで経っても平等権視野の融資視界など誕生せん


> こげな言い方しちまってる時点で
> 自由権による人権侵害ありきを容認しちまってる‥


 ‥つまり私たちは自由権を以て、人権侵害ありきの非道徳行為ありきを当然として認めてもきた‥
 (犯罪が起こるのは当たり前‥私たちの自由尊重で登場したモラル形成は、結局その程度だった)
 (寛容なのか、軽視なのか、無神経なのか、不勉強なのか‥まるで分からん)


 ‥結局人権とは自分で守るべきものであって
 ‥保障制度とは呼べぬ違憲相当ありきも覚悟なのだから
 ‥三権分立、信教の自由などと並べてみても所詮は、やっつけレベルでの暴政防止策だった
  (すべてがグルになっちまうほどの忖度的総裏切り体制を想定してはいない)
 ‥本当の意味での保障とは、国の責任などに無く、一人一人の人権尊重意欲からだった
 ‥自らの意志を以て暮らしを、其の地盤を‥守ろうとし合わない者らにはなんの効力も発揮しない
 ‥それが、他人自由VS.自分自由とした五里霧中上等の中での基本的人権だった
 ‥基本を生かすも殺すも自分からとの意味が「基本的」の本意だった


> ならば、自分の人権を自分・自分らで守る意味でも、基本となる補償枠を求めるのは権利である
> (誰にでも、失敗も大失敗も不幸も不思議とやってくるのだから)
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posted by 木田舎滝ゆる里 at 02:06 | Comment(0) | 科特隊どころか無理だからウルトラ経済大作戦 | 更新情報をチェックする