2020年08月04日

【推察】外人のマスク嫌いは‥

記稿.2020/08/04

> 外国語の発音として、相手の口元を確認する習性がある
> その点、日本語は相手の顔すら見ずに会話が成立する


 ‥日本人はそういう意味でもマスクに抵抗感が無い
 この違いをどうにも理解できていなさそうな諸外国の様相に唖然とする

 ただ単に嫌なのでは無く、本能的に培ってきた視点ゆえのうんちくがあるわけでーす

 その点、透明なフェイスマスクの注目度は高くても良いはずだが
 そんなの関係ねぇと云わんばかりに、冷静さを欠いたままなのは壊れているとしか思えない


 ‥というより
 透明なフェイスマスクのようなちょっとした工作上の量産すらできないのが実際なのだろう
 兎にも角にも、細々とした品々の多くが輸入頼みとした怪しさゆえのストレスだろう
 その代わりに、すぐに手にできる日常としてありふれているのが銃とバットだったりするのだろう

 それと同じで、すぐにデモ行進をやらかせる環境が揃っていると言うことでもある


 ‥マスクに反対でデモ行進とか
 敵がコロナウイルスであるとした感覚すらおぼろげで、敵を政治にすりかえちまっている
 撒かれちまっているのだから、目の前の敵は新型コロナウイルスだって事だし
 撒いた奴らが政財界絡みだったとしても、そいつらを叩いても予防にはならない


 ‥日本の医療制度とも大幅に違うと言うこともあるのかもしれないが
 マスク如きでどうにかなるものでもないとしたアンバランスからの不満の爆発かもしれないが
 貧困寄りで有ればあるほど、備えようにもそれの続きのどうにもなら無さに憤るのだろうが


> そもそもの論点はそこには無く


 マスクでさえ気に入らなければ食ってかかる社会性には
 お互いに気遣い合うとした根っこが無いとした何ものでもない

 (それの代替的反動がロックダウンということだろう)
 (それにしたってそれは、村八分衝動とさして変わりがない選択肢だ)
 (決して、理性からの判断だけとは言い難い)


 三角貿易の的にされたアフリカ民族は
 銃を捨てて戦争を止めるとした民度が無かった‥それと同じ性質だ‥

 三角貿易を推し進めた列強は、医療に対する奉仕気質なんて持ち合わせていなかった
 持ち合わせているような振りがあるだけで、根っこにあるのは差別と利益主義でしかない

 そうした積み重ねが、お互いに気遣い合わない習性を良しとしてしまい
 キリスト教で愛を叫ぼうが、ただの言葉遊びでしかないのだろう
 だからこそ、生活用品での対応力より、まずは銃とバットに溢れた日常と云うことに成る


> 科学力で対応と云ったって、そういった生活面での細やかな対応は、中小企業ありきだからな
> バリバリの資本主義者にもなると、中小企業不要論だそうだから、そういう事なのだろうよ



posted by 木田舎滝ゆる里 at 00:54 | Comment(0) | 日記/2020 | 更新情報をチェックする