向宜詠吟.2020/11/29
うんこには、臭いし汚れるし垂れっぱなしで良いことは無いからとした理解がある
うんこには、それだけの説得力がある
面倒くさいからと、やたらそこらにうんこを垂れぱなしにしていても
其を自分が踏んでしまうお馬鹿さも付きまとう
なんだかんだで、トイレたるマナーを身に付ける
そうなってくるともはや
うんこたれは恥ずかしいしから、誰もうんこたれをやりたいとは思わない
うんこには、それだけの説得力がある
なのに
ヒトのやらかす競争はうんこたれの如しなのに誰もそれを厭わない
その極まった良い例がトイレ無きマンション運営だった(原発)
使えば使うほどにうんこたれ現象が進行して行く核廃棄物を誰も望まないのに
政府が一丸となって垂れ続けるそれは、どうしたって「うんこ」とした象徴だ
「このうんこたれがッ」
そんなうんこたれどもを担ぎ上げてきたのも、経済競争ゆえである
日々の暮らしの底辺とは何かと問えば、それはうんこの処理だ
うんこの後始末を考えずに競争なんてやらかすから、色々としたトイレ無き惨状を招く事になった
そうなってはもはや、お互いに罵り合うしかない
だがしかし、世間そのものがうんこたれを担いできたのだからどうしようもない
誰も色々としたうんこの掃除科学を育てて来なかったのだからどうしようもない
うんこたれどもを褒めたたえてきたのだからどうしようもない
科学のやらかしそのものが、経済競争のやらかしと同義だった
科学は人類を文明人に導いただろうか?
経済競争の末に手にしたのが「うんこたれ爆発」では、とてもとてもクサすぎてお嗤いだ
「このうんこたれどもがッ」
トイレを用意できてこそはじめて科学者なり有識者を名乗れるのであって
トイレを用意し得ない似非科学の推奨は、どうしたって「糞野郎」である
「糞野郎どもがッ」
> うた詠み終わります、ありがとうございました。