↓4)記稿.2021/02/10
‥科学もとい今や自動AI化が進む程に人の為すべき仕事は
高度で
地味な管理だったり、科学を推し進める上での
地味な基礎研究だったりに陥る
なんだろうと評価を高めようと思ったら、日の当たらない
地味なワークに嵌まりがちだったりする
一方で、管理職なら直に生産に従事することから、人事管理等での成果が判りやすいにせよ
研究に従事していると、何かと見えないので、カネ食い虫扱いになりがちだ
(このようなヒトの側にありがちな思い込みや偏見はどうしたって不可解しい)
> 私たちの社会は何も一握りの投資家らに牛耳られていたいわけでは無い
>(脱する気が無いなら、それこそ「国民主権×民主社会」放棄状態だ)
だがしかし、評価の仕方に法規制など無い
競争と言えども、評価する側の評価は存在しないのだ
其をやらかすのが投資家と言わんばかりだろう
(その辺をAI化すれば良いとした意見があろうと、人類に共有できそうなノウハウなど無い)
(そもそもの評価は社内規定で有り、自由且つ闇の中にある)
(やろうとすると、すべてせきららに紐解いて具体性あるデータベースを設ける所から始まろう)
‥なので、あえて有るとしたら、売上つまり市場原理とした次第になっている
且つ、売上低迷の責任の大抵を、席の得られる下から順に押し付けるのが資本社会の慣習だ
(戦場にて部下や上司を失うことは、お互いに辛いことだ‥)
(せめてお前たちには、部下を失うか上司を失うかの選択権ぐらいくれてやろう‥とか何とか‥)
トップ争いにて、誰しもが任命責任を口にしたとて(派閥視あり)
誰も投資家に対して「お前の投資が悪い」と吐くことは無い(是が本当のお客様は神)
なぜなら、それのツケの多くを政痴屋が「席」とした形で担う劇場になっている
> ならばこそ私たちは、この事実こそに目を向けるべきだ
> 投資(発行)責任など存在していない、存在するのは社会責任だけだと‥
‥ならばどうするべきだろうか?
いつまでも公債発行のしすぎは後世に影響を残すなどとやるべきだろうか?
否否そうではない、そうでは無いはずだ
そんなことは今更述べるまでもない
世界経済の次の段階は、公平な無償発行からのスタートだ
つまり、万民幣権を掲げることである(金融システムの斜陽からさらに進めた終了案である)
そしてそこに求められるべき‥社会責任だけが確かに発生する‥
> 当然それは、万民幣権を妨げる行為等の禁止である
> 他者の分を奪わない、民度を下げるような行為をやらかさない
> 科学選択の間違いには、即決で撤退すべきである
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