記稿.2021/02/19
> ビジュアルのありすぎで、草原に一本道とした画をしょっちゅう目にする(とくにゲーム)
> ブルドーザーから草刈り機の無かった時代色に、それはなぜ存在できるのか?
‥草原が草原のままであるためには
第一の条件として、成り立つための気象条件が欠かせない
そうでも無ければ、あっという間に一本道の草原は
道も判らない草ぼうぼう地帯へと変貌するに違いない(まぁ草原ではある)
‥第二の条件として、とくに動物の生態系に組み込まれているかどうかだ
(是にはヒトの活動も含まれる)
‥第三の条件として、地形条件が挙げられる
> まずモンゴル高原から考えてみるに
‥高地は乾燥しており、風も強く、植物の育成には条件が悪い
なので育っても低木種が多く、高原としての見晴らしは維持されやすい
一本道に草が覆い尽くされて見えなくなると言うことは考えられにくい
それでいて雨が多少なりに見られようと、馬などの動物が食むので
自動的に管理されるに等しい状態になる
(但し、どちらともに往来に乏しいようなら、道の境は消されてしまうだろう)
‥これはアフリカのサバンナでも言えることで
とくに低地の草原状態を管理するのに、草食獣の存在は大きい
> ここでは田園草原の一本道の維持を検討しているので
> 野生動物食性の効果を外して考えざるを得ないわけだが
それにしても、ヒトの行き来の交通量がどのぐらいかも謎なのに
画に描かれるそれら多くには
高速道路並の6車線幅もの広がりを有し、馬車の通う道がちょこんと真ん中にあったりする
(RPGの舞台となる一帯に、常に王キ並に馬車が走っているわけでは無い)
‥田舎になればなるほど道幅もぐっと小さくて然るべきである
ならば、中世風森林地帯における無駄に幅っ広い一本道表現は間違っている
牧草地帯で、羊飼いやらが通るからとした筋書きがあるならまだしも
馬車を止めて馬を休ませるのに草が有った方が都合が良いからとした提案が込められていようとも
それはそれで水源とセットでないのでは噛み合っていない
(井戸の設置とセットで描かれるなら、政策に富んだ領主が居ることになる)
‥だが、水源とセットなら、それは平原とした地形の方が有利で
起伏があればあるほど、道幅を広く取るなどとした表現は税の無駄だ
(大魔道士が土木工事に参加してるとか、その手の解釈を求められてくる)
(どれだけ国造りに熱心な魔法使いなんだよ!!!)
(アニメ「八男って、それはないでしょう!」には、その手の表現が見られて新鮮だ)
> そこで単純に、牧草地帯=草原地帯=放牧地帯=柵続き=ちっぱい細道
> としたセットを中世風舞台にありがちな基準にせざるを得ない
> それが西洋史における普通な田舎風景での草原の一本道である
そしてそのような田園風景には、勿論小麦畑もあるはずだが
なぜか小川とした存在感は、村近辺とした描かれ方しかされず
雨や川の存在感が妙にちっぱかったりするのは、謎だ
(日本の暮らし向きと比較してしまうとそう思わざるを得ない)
(ならば、土木工事への熱意は遺伝であり、それが日本と欧米世界との差と言わざるを得ない)
(より多くの収穫を得る為にも、それは縦横無尽として湿原地帯さながらだった)
> ならば、欧米風な草原続き=ちっぱい一本道とやらに
> どれほどの夢を抱けるというのだろうか?
そんなのは道路屋が、道だけ造ってれば好いと思い込んでるのと同じで糞詰まらん
他の生命存在を押しのけて、そこにちっぱい道と雨露頼みの牧草地があるだけだったんだからな
地球が全力で其を否定しまくる時が来たって不思議では無い