記稿.2021/02/23
> 今や、建設国債×競争入札×中抜きはセットである
> 世間の多くはこの流れの中で、中抜きばかりを悪徳としているがそうでは無い
> 競争入札とした在り方からしてすでに悪習慣だと理解すべきが現状だ
‥いいですか皆さん
工事による死亡事故を減らすための養生費用の必要は無制限です
きっちり其れ用の予算を計上しようなら競争入札など無謀です
工事の仕方も技術水準も一緒だったら似たり寄ったりです
まして新技術の投入ともなれば、赤字覚悟なんてとんでもない話でしょう
なのに、行政は一番に安い工事価格の提示を優先するという昔ながらの慣習を踏襲するのみです
そんな事で、工事の安全確保が成り立つわけがありません
そういう意味で問うなら、競争入札自体がもはや人権無視の違憲状態です
‥見てご覧なさい
昭和には聞こえてこなかったクレーンの落下事故が昨今目立ってニュースにもたげます
技術水準は上がっているはずなのにどうしてでしょうか?
そんなのは決まっています、予算を削られているからです
(そのような低レベルでの蓄積が日常と化しては、立派な伝統理解など育ちません)
予算を削られているのは、何も中抜きからばかりではありません
そもそものスタートが競争入札だからです
その結果の蓄積です
‥なぜ行政が予算をケチるのかの本丸は、述べるまでも無く建設国債です
建設国債とした赤字押しつけ・思い込ませルールがそうさせています
公債のそもそもは、妄想マネーです
それを国家的な手続きを得て認可されると、実体化を見せ、創造マネーに変わるのです
(日銀を始めとした中央銀行の帳簿に数値が書き込まれて、始まるのです)
そんなもの‥必要なだけ予算を組んで無償でどや顔すべきが人権保障のはずなのに
そうではなく、赤字として貸し付けて税として搾ることを人権保障だとすり替えています
‥税を払うのは国民の義務と定義しているわけですから
国民主権とはつまり借金の肩代わり保証だったとも受け取れるすり替えが雑じっているのです
(まさにそういう意味では、バリバリの米国産もとい鬼畜資本産憲法です)
※ そもそもが妄想スタートからの創造マネー×金利を返済できる資金量など市中には無いのだ!
> とはいえ、ではどこが仕事を請け負うべきかとした話題になると
> そりゃなんらかの調整が求められる訳ですが
> 資本主義では、其を談合と一蹴し、競争入札正義を語るのです
‥ハッキリ理解しましょう、競争入札もまた人権軽視含みだったと
無事故完遂こそを正義として最もだとして誇ろうなら、養生費用を正しく理解すべきです
さらに、そのような費用の計上が認められるなら
住民説明からして嘘は通りません、そういう理解にも成ってきます
それが公平とした人権保障の方向です(発行としてあるべき枠組です)
科学者にしても、事細かな要望を吟味した上でアイデアを絞り出すべきが未来ある姿です
> そもそもからしてなぜそうならないのかと言えば
> 官僚の多くが現場も科学も不得手なド素人だからです
> (代議士のポチ閥ともなれば尚更)
‥ド素人の思い込みのままに慣習を踏襲したって、血が通っていないのと同じです
それの思い込みのままを又投資家と共に共有してマスコミが垂れ流しては
国民の多くが錯覚を起こしたままに陥ります
いいかげんに、建設国債×競争入札×中抜きとしたセットから卒業すべきです
(このセットがネズミ講と同質だって次第は明らかです)
※ 単純化すると↑のように見えますが
それぞれで抱えるスタッフの頭数なり、現場数なりが異なるので
投げざるを得ないケースも有るわけですが、降りずにやり通そうとする慣習は卑怯でーす
又、其を駆け引きとか競争とか正当化して開き直る有り様は、無神経且つキチガイでーす