2021年03月05日

【妄想】欧州にドワーフ族が居たとしたら候補が三つだけだった

記稿.2021/03/05

> スペイン山岳地帯
> オーストリア山岳地帯
> スウェーデン山岳地帯


 ‥細かく調べりゃ他にもなくはないだろうけど
 日本の戦国時代をやらかせるような意味でのどこでも適量な含有量があるわけでは無いらしい

 ‥と言うことは
 世界大戦は鉱床覇権で、事前にほぼ決まるのが欧州の事情だった

 ‥と言うことは
 中世ヨーロッパの都市国家風情がどうしたってのんびりとした事情に見えてくる
 当時の陰謀計画の多くが教会核だった
 つまり、戦争にしたって教会側が牛耳っていたくさい
 (良い意味でも悪い意味でも教会が戦争を調整していたくさい)
 (三権分立の建前としての司法役だったなんてとんでもない次第のようである)


 ‥そのかび臭い時代の空気をねじ曲げたのが武器商人のやり出した債権利権だった
 海賊の登場(両建て作戦)により、各地に防衛用の大砲が備え付けられるようになった
 (有力な鉱床が三つしかないなら、誰が海賊を仕掛けていたかなんてもう丸わかりっすね)


> スペインが強かったのは有力な鉱床を有していたから
> 英西戦争が起こったそもそもが鉱床利権の分捕り合いだった
>(当時スペインが負けたのは、純粋な火力差だったと思われる‥その為の大砲投資だった‥)


 ‥当然、利権を取り返したい連中は、虎視眈々と再起の機会をうかがっていた
 そこに登場したのがフランス革命後のナポレオンだった

 戦争するにも鉄が必要だったからスペイン領を奪ってるし
 戦争するにもまずは教会を抑えて置かないとダメなトラウマだったからアルプス越えてるし

 きっと当時のその手の投資家は
 このまま欧州をフランス版の市民革命市場に染め上げられるかも
 なんて思う程にナポレオンの快進撃に酔っていたと思われる

 だが結果、スペイン鉱床に頼っている限り、欧州統一はありえない次第を悟ったのだろう
 (スペイン鉱床に変わり得る資源開発が成らない限り、戦争での優勢を維持できない)
 (理解が得られた事で手を付ける事に成ったのが、アメリカ大陸の開発だった)
 (イギリス産業革命はそれのエンジンとしても回り出した)


> ということでドワーフ族の候補として考えられるのは
> 幾分平和にあったスウェーデン鉱床近辺という事になるだろうか‥
> (否、スウェーデンといえば、バイキングだな‥)


 ‥ちなみに、オーストリア鉱床は、ヒトラーの先手目標だった(電撃作戦)

 (オーストリア側が戦争をやらかさないことで、スペインは存分に大航海時代を満喫できた)
 (というのもツーカーだったと言うことでしょうね)
 (と言うことでオーストリアが乗り気で無かったのでサラエボ事件が起きたとも想像可能になる)
 (いやぁもうズボズボに陰謀説明できちゃうんだから末恐ろしい)


> ということでなんだかんだと
> オーストラリア周辺が有力候補かもしんない
> (なんだかんだとドワーフ族も武器屋だからな)



posted by 木田舎滝ゆる里 at 21:27 | Comment(0) | 日記/2021 | 更新情報をチェックする

【疑問】石器で道路を整備できたのか?

記稿.2021/03/05

> モアイ像‥島はほどんど草地で道路の設置を想定しない
> エジプトピラミッド‥当時は緑地だったが今は砂漠で道路云々の思慮が曖昧
> インカ&アステカ‥記録に残されている内訳と遺跡との間の絡みが説明不足で曖昧


 ‥石器で石を切り出せたとしても
 なんだかんだと‥運び出す為の道路造りの検証をスルーしている
 丸太を転がすにしたって、転がす丸太を何で切り出したのかの説明が無い

 鉄器文化なら説明不要でも、石器レベルだったなら謎に満ちる

 その説明を端折る為の印象操作として
 モアイ像も砂漠のピラミッドもうまい具合に説明例として利用されて来たっぽ


> どちらともに道路の設置を説明する必要を端折れるのだ
> だが、インカ&アステカは違う


 ‥アステカは今やジャングルで石材産地が不明で誰も説明のしようが無い
 水瓶の池に漆喰を塗りまくってあるその漆喰の産地ですら判らない
 とりあえず、その手の産地があっただろうと思い込むところで思考停止中だ
 学者だってそれの有る無しを前提にせず、在っただろうの推論止まりだ
 ‥それにしたって、ジャングルの木々は柔らか系なので
 その丸太の上に石材を乗せて転がせたとは思えない
 それでなくても雨が降れば地面はぐちゃぐちゃなんだから無理がある
 そういうツッコミを聞いた例しがない
 ‥それでなくてもセノーテだらけだったら
 誰もそんな発想でやっていたとは思っちゃいないだろう
 (この辺の謎は、エジプトピラミッドの其れと余り差が無い)


 ‥インカはその逆で
 丸太にできるような木々に乏しいわけだから麓から運ぶ解釈になる
 だがしかし、上から木々を運ぶのに川下りを使えても逆は無理だ
 人力でやろうったって、酸欠を起こしそうな高地でそんな重労働を推し進めるのは酷な作業だ
 ‥という事からも一から十まですべてをインカ帝国の技術でやり通しているとはとても思えない
 なので、道路にしても石造りにしても金細工にしても前文明を発掘した結果に思われる
 その裏付けとしても文字を持たなかった点はアステカと大違いなのだから
 そう思わざるを得ない


> そこでこの二つは、侵略しちまいましたんで詳しいことは解りません
> としたボケた印象操作で曖昧にしている(すべてはその文明の遺産とした印象付け)


 ‥始めから魔女狩り同然のキリスト教的不都合が解っていたから、抹殺したんだろう
 お陰で唯物論誘導をしやすくしてきたと言うことだろう

 ‥だがどう考えたって
 アステカ文明、インカ文明として括れるほどの先住民史だったとは言い難い
 さらに古い時代の先住民たちがもたらしてきた内容を含んでいても不思議では無い

 どこの国だって似たような流れが在るのだから
 そこを一括りにして「かの文明だった」とするのは、端折りすぎである


> その手の操作が上手くできていたのも
> なぜか北米大陸の文明には、それほどのインパクト在る遺跡が無かったからだろう
> だから、同程度だったとした思い込みを誰しもが抱いてきた


 そしてさらに、当時にインディアンと呼ばれてきた先住民たちには
 トマホークとした武器があった
 どう見たってそれは鉄器の部類である
 (その辺の文化度バランスが曖昧だったせいもあるだろう)


> そして極めつけは、洞穴壁画と言うことだろう


 誰がどう考えてもちっぱい人間が描いた跡でしかない
 巨人がそこに描かれている痕跡も無い(見方を変えればあるかも知れない)

 とくに、巨人が居たとしたら、いつ頃現れて消えたのかさっぱりだ

 巨人の骨が出土しても
 洞穴壁画の存在との絡みを説明できない

 (なので、謎の比率として成立しやすい思考が選択されてきたように思われる)



posted by 木田舎滝ゆる里 at 14:36 | Comment(0) | 日記/2021 | 更新情報をチェックする