2021年03月16日

【是論】全体に明らかで確実な利益が見込める場合の心理とは

↓2)記稿.2021/03/16

> ‥全体に明らかで確実な利益が見込める場合
> 個人のモチベーションは極めて高い状態に置かれ
> 全体での役割負担もわりと理解されやすく平均的に導かれやすい???


 ‥だがしかし
 給料分の仕事とは何かとした個人的な判断は、全体的にバラツキが見られる

 ‥とくに
 ルーティンな環境に晒されていると
 飽きてくるわりには、意外性を排除した状態に満足しがちに嵌まってもいる
 なので、それ自体を給料分の仕事とした錯覚を起こしやすい

 ‥そしてさらに
 確実な利益に格差があると、却って移り気だったりするので
 どこもかしこも人手不足というオチを見せ
 なんだかんだと、役割負担は増大しがちに成りがちだ


 ‥それゆえ、変動的な環境に晒されていると
 無駄に頑張っているとした自己評価に自身を追い込むことで納得しがちになる
 その為(本音は賞与より休暇だが)無駄に賞与に対して過敏反応しがちになる事から
 より多く貰えるとした反射感覚による麻痺感も加わり
 唐突で無理な要求だろうと承諾を重ねてしまうポジションを取っていたりする

 競争とした不安定要素が絡めば絡む程に
 大抵の多くがそれのドツボに嵌まっていたりする
 (競争に無くても、見栄や格好付けに欲張っていたりする性格も同様だ)


> ならば、全体的に不安定で多くが利益を見込めないならどうだろうか?(過当競争)


 ‥まずその時
 給料分とした概念が外されて無視される
 ルーティンな環境やらの希望等をすっとばして、よりスリリングな報酬に魅力を感じ始める
 だがしかし、背伸びしすぎや頑張らずに手に入れようとする自分に、過去の習性から違和感も募り
 自己評価として時折に発生するのは「リスク評価」だったり「善悪の概念」だったりする
 だがしかし、それすらもほどほどになれてくると麻痺し始め
 普段は意欲的にやりもしない挑戦的な無謀沙汰に対してすら
 (妙な錯覚として)無駄にやれそうな高揚が発生したりする

 競争を過剰に正当視すればするほど、社会では、事故&リコール&炎上が目立つようになる
 なぜなら、大抵の多くが錯覚ありきを自覚せずにそれのドツボに嵌まっていくからである
 (錯覚していないとやってられないのはアルコール依存と同質だ)


> 以上のことから、給料分の仕事とした概念視をリセットすべきとして
> 報酬契約を年度決算後の後払いとした方式を採用した方が良く
> 併せて、生活のやり繰り分をベーシックインカムにしてしまう方が健全さを保てるに違いない‥


 ‥そもそも無い袖は振れないのだから
 会社が赤字なら給料なんて上がったりに決まっているので
 報酬内容を決算後払いにされると嫌でも協力して頑張らざるを得ない空気の方が濃くなる

 (これは、農耕生活のそれと同じ効果なのだから否定のしようが無い)
 (農耕暮らしにおいて、少数精鋭発想は無駄な妄想で過疎厄でしかないのも道理だ)

 ‥だがしかし
 閉ざされた環境に置かれがちだった昔のそれとは違い
 地場に縛られる必要もないことから
 よりうまい物を作ろうとする創意工夫は、質素な暮らしながらの必要からでは無く
 全体的な情報や評判の中での立ち回りに変わることから

 単に生産するルーティンさよりも、継続的な投資の用が伴ってこそになる
 (予算や投資の来ない会社に居たいとは思わないだろう)
 (是の都合を、公民お金でサイトに置き換えるという次第になる)
 (ここでは全体に明らかで確実な利益をベーシックインカムに置き換えた解釈だ)
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posted by 木田舎滝ゆる里 at 19:58 | Comment(0) | 科特隊どころか無理だからウルトラ経済大作戦 | 更新情報をチェックする