↓5)記稿.2021/03/20
> 今どきの創作における魔法概念には、RPGの都合と影響から
> 魔法の素となる元素概念が導入されていて、其を「魔素(まそ)」と呼んだりする
> (著作権概念抜きで、創作上の表現に魔素を使えるのかどうかは知らんが‥まぁ自由だろう)
‥このような外からの因子を凝縮して魔法の威力を上げられる解釈には
体力に似せた表現を兼ねている事もあり、物理的、食事的、活力源概念が強い
(中には精霊の加護により、一時的にその場の魔素を独り占めできるなんてスキル発動もある)
(それはどういう精霊なんだ?‥どうみたって上位の精霊に違いない‥)
> だがしかし、魔力と霊力と超能力の差ってなんですか?
> ‥という問いに答えるとなると、途端にそれだけでは足りない因果関係を発見する事になる
‥魔法には、その実現したき内容に対して等価交換とした概念がしばし登場する
自身の魔力を超えた用途や状況を発動させようとすると
「代価」となる何かを捧げなければならない
それが使い捨てのような魔法や召喚ともなるとそのままを失う事になるし
一方、何か具体的な形の保持を目的とした生活魔法なら
其を壊すなり解除すると発動が停止して、代価とした其れが存命中なら戻ってくる
と云うような扱われ方もされている
(超能力ではそのような観点を扱っていないか無視されている)
(代わりに薬物やウイルスを使用する事で、遺伝子に影響を与えるパワーアップネタが見られる)
> このような概念は内なる力を前提としていて、魔素とは異なる
> (むしろ魔力の発動の背後には其を与えている何らかの存在性すら彷彿させている)
‥その辺、何も知らないでいると
自分の命を削ってまで手かざし(治癒)やらかしちゃってました
‥なんてオチにもなりかねない‥
なので、その辺を良く理解した賢者になると
他者からの信仰(祈り)による力を補助として使いこなしちゃうという類の術者になる
これは外からの力と内からの力との融合なので且つ魔力の背後には存在ありきをとても理解した
魔法領域としての集大成に当たるだろう
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