2021年04月17日

【詩】[破綻上等]以上[その恋愛、スルー上等]未満=[自己嫌悪]

向宜詠吟.2021/04/17


恋、それは魔法
恋、それは魔女
恋、それは魔物
恋、それは魔境

恋は、競争
恋は、早い者勝ち
恋は、奪(お)とした者勝ち

あなたがそう思って手に入れた恋人なら
其は瞬く間に綻びを見せ、憎悪に様変わる事でしょう

だって所詮‥奪い合いありきは、半分呪い懸かった憎悪ありきの形ですから‥
(世間はそれを嫉妬と野次り継ぐ)
(質違いの美貌などそのままに戦場だ、其のどこに慈愛が微笑むだろうや‥)
(世間はそのしあわせ模様を当てつけと野次り継ぐ)
(どうしてお前らだけが優遇されてあり続くだろうや‥)




夢見ていた恋が破綻する時
形はどうあれ、過剰なストレスに襲われるにしろ
多くはその手のストレス耐性とした概念を見落としたままに
ただただ興味本位に愛を思い込んでいただけだった自分に驚愕しています

ストレス耐性を先に獲得してた方が良かった‥などと誰も勧めないにしても
その手のストレス耐性とした身構え方には次のような理解が欠かせません


あなたが好きなものを手にするばかりしか選択してこなかったなら
当然の結果として、あとは飽きたら捨てるだけが流れです
それとも押し入れにしまっておいて、たまには取りだして愛でるコレクション入りでしょうか‥
それゆえに、嫌いとした衝動に駆られた時、そりゃもうゴミの如き扱いに及ぶのです

なら、嫌いなモノを好きになる訓練をしていたらどうだったでしょうか?
(あなた自身が壊れてしまう程に無理をする必要はありませんけどね)

でも多くは、そのような時間を費やす事に無駄だとした思考で停止します

なら、あなたが自己嫌悪に陥ったなら
あなたは、自分に対して同じパターンからの判断を下すはずです
一番に安易で手っ取り早い選択支が自死や投げだしです
(否定されたわけでもなく、ちょっとした注意や想定外などでその相手を毛嫌いしがちも入ります)
その次に取られる選択支は恥を忍んでの相談です


でも本質的に問うなら、それらその手の選択の多くが
あなた自身で、自分自身による自分との対峙を避けて通ろうとした反応に基づきます
あなたが素とした自分自身に価値を見出せないのに
どうして、ありとあらゆる嫌いな事柄への善転視野を発見できるというのでしょうや‥

つまり、自己嫌悪すら克服できていない者には、愛を語る資格などない
‥とした烙印を背負ったままに手に入れようとしていた姿がパターンだったと言う事です


ところが多くは、その様な時にこそ親身になってくれた者の「やさしさ」とやらを強調しがちです
まぁそれはそれですが、本質的には何ら学びを得るには至りません
(自身の失敗から学ぶべき気丈を得ずに、只得たいとした気持ちを所有欲とでも言うのでしょう)
そのようなことでは、あなたは自身による欠落を
只只、相手からの許しや誰かからの肯定で見たそうとしただけです
なんら自身による解決力(肯定力)を身に纏わぬままでは、又同じことの繰り返しです
(あまえる事で得られる力が在るとしたら、それは破綻力ということでしょう)




あなたがもしなんらかの肯定力を見出せたのなら
あなたの中で必要とする価値概念は随分と様変わりした事でしょう
其を「突然変異現象」と表現したとて過言ではありません

でもまだまだです
あなたは、あなたにとって必要とすべき価値概念を支える為の生き方を
まだまだ心得るに居たっていません
発見しただけです、入り口に立っただけの話です
そこからも‥またあなたは性懲りもなく同じことをやらかす事でしょう
なぜなら、好きな事を優先してしまうのは本能でもあるからです
あなたはこれから先も、この手の欠陥と向き合って、扱いこなす必要に迫られています

人はその様な日常を「人生」と称して、よろこびもすればあきらめもしています
あなたが人生を謳歌していると思える時、そこに在るのは、あなた独自の肯定力です
それは、一般常識な肯定観とは違っているので、選択支での解は様々で、完全一致などありえません
つまり、あなたの人生は、あなたの発見した肯定力に添った選択支の道を引き寄せてきます

ならば、肯定力に結びつかない段階で得られる恋愛など「破綻上等」だったに違いありません
そこに理解があったなら、わざわざ前面に押し出してまでやらかすエッチを望まないでしょう
「その恋愛、スルー上等」とした自分に置き換わっている事にいち早く気がついていて
それが普通なら、まわりのイチャイチャや色香に煽られる事も減るのです

そんなあなたが欲しているのは、あなたにとって必要とすべき価値概念を支える為の生き方です
あなたが其を見つけられていない段階で得られるパートナーなど
近くに居ようと居ないのに等しいだけで、まぁそういうものでしょう
(それは自分自身の本質や周りの本質を見誤っているような状態と同じですから)
(それは、私は私といつも一緒に居るのに、自分自身の事を深く知らないのと同じです)
(深く識らないのなら、それは、奥深き愛情とした扉など‥只只、言葉だけの範疇です)



> うた詠み終わります、ありがとうございました。



posted by 木田舎滝ゆる里 at 10:25 | Comment(0) | | 更新情報をチェックする