↓4)記稿.2021/04/18
志や目標こそ我が主君
求道者である当人側はなぜか従者にすぎない
ハイヤーセルフ側が光で
当事者である側の現実の私はなぜか影扱い
ならば、未来が変われば過去も変わるとした頓智まがいにしても同じなのだろう
どうしたって‥未来が私側で、過去が私を送り出した側に相違あるまい
(否否、今の現実こそ私側で、未来など未だ不在だ)
> どんなに研鑽やら汗を積み重ねたって、私は自らの志の下僕で
> いつの間にやら‥その日の目標に隷属した毎日をやらかしていたりする
愛とした観念を勝手に理想として思い込めば込むほどに
現実に尽くしても‥其には程遠いとして‥今度は勝手に下僕たる日々にうなだれている
そして自由を手に入れんが為に、八つ当たりにもイライラを募らせていたりする
其は、私を見下した知らんぷり野郎共に抱く反旗か革命かニトログリセリンか火炎瓶である‥
「でもそれはなぜだろう?」
そもそもは、自分の為に自分が自分に約束したテーマにあるはずなのに
なぜか心苦しくなると他者を頼りたくなるばかりか、頼れないと知ると途端に心折れそうになり‥
あわよくば相手の日常を破壊したくもなる衝動が訪れるのは一体全体どういうことだろうか?
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