記稿.2021/04/21
> アニメ・マクロスシリーズと言えば
> 歌で戦闘を止めるとした表現ジャンルとして登場したわけだが
‥それは地球人VSゼントラーディ人との戦闘において
オタク要素盛り込みでなんだかんだと
戦場の歌姫の歌が、敵の戦闘意欲を低減させるに効果有り‥と言う事だったのだが
リン・ミンメイ当時のそれは、それこそ冷戦下での時代の空気も重なって
歌で戦争を止められるとしたアイデア自体に相当のインパクトがあった
‥ところが、シリーズ化が進み、それが当たり前になると
地球から外宇宙への新天地を求めるとした段階においてはまだまだ
無駄な戦闘を避ける意味での期待感も誘っていたわけだが
さらに進展して、全銀河を股に掛けてる設定に及ぶと
途端に歌に戦争を止める力なんて無いとしたオチに陥っている事に誰しも気が付く
もはやマクロスシリーズとして、話を進めれば進める程
所詮、人類は戦争行為を放棄できない蜂起大好きな連中だった
という下りにしかなっておらず、リン・ミンメイ当時のインパクトなんざ欠片もねぇ
> ‥さらにとどめを刺しているのは
> 歌の効果で戦闘行為を収める事ができるなら、その反対も有りとした盲点をやり出した事だ
‥歌としての兵器効果を表現してしまったというオチは
戦闘行為を増幅させる事ができるとした要素をぶち込んじまったという奴は
それはもう人類は戦争大好きで、もとい‥作り手側が戦争を賛美したも同然で糞ッ
(歌としての聖域なんざ表現者自体に欠片も無かったというオチだ)
(死の商人としての才覚を当人の作品に持ち込んで、やっちまった感ありありで糞ッ)
(アイデアの盲点に気がついていたとしても敢えてやる意味はあったのだろうか?)
> これが所謂、世の中の椅子という椅子の陳腐化する判りやすい例ということなのだろう