記稿.2021/05/01
> 当方では、民立布悦を掲げているが
> そのそもそもは民主主義改め「民立主義(みんりゅうしゅぎ)じゃw」
> という事に成っているわけだが、敢えて積極的には展開していない
‥其の今更ながらにも
民主主義&デモクラシーの意味を反芻してみた
そのきっかけが
デモクラシーの「デモ」はデーモン(悪魔)を意味しているのではないのか?
とした勉強不足からの思いつきだったわけだが
ググって確認してみると
‥「デモクラシー」(democracy)の語源は
古代ギリシア語の_δημοκρατία(デーモクラティアー)で
「人民・民衆・大衆」などを意味する_δῆμος(デーモス)と
「権力・支配」などを意味する_κράτος(クラトス)を組み合わせたもので
「人民権力」「民衆支配」&「国民主権」などの意味である。
‥著生の思いつきの方で言うと
_δαίμων(ダイモーン)のそもそもは、哲学用語で
神と人との間の格付けになるような英霊を指しており
又、ダイモーンは‥ユダヤ・キリスト教のデーモン(悪霊)をも指すことから
敢えて発音の仕方をこだわって区別してあるらしい
(という事からも、そこは‥デモニストとした言葉は好まれず、サタニズムが一般的)
> とうことから、デモクラシーのデモには
> 大衆による善政期待を込めた意味があるらしい
‥だがしかし
古代ギリシアの衰退以降は、「デモクラシー」の語は衆愚政治の意味で使われるようになった。
元々の古代ローマでは「デモクラシー」の語は使用されず
王政を廃止し、元老院と市民集会が主権を持つ体制を「共和制」と呼んだ。
‥【衆愚政治】
古代ギリシアにおいて、失敗した民主政を揶揄して用いられた蔑称である。
教養の無い貧民が政治を支配した結果、失政を重ねていくとされた。(ポピュリズム、暴民政治)
(早い話が、利権の神輿を担ぐのが、とにかく大大大好きな奴らって意味)
(もとい、自民党政治と書いて「しゅうぐせいじ」と呼び変えても差し支えがない)
> 復権したきっかけが清教徒革命だった
‥結果、「デモクラシー」は自由主義思想の用語として使われるようになった
更にフランス革命後は、君主制・貴族制・神政政治などとの対比から使用された
又、20世紀以降は、全体主義との対比でも使用された
(どちらも大衆のくせに、貴族体制と分けてるってのが人権意識薄すぎる単語だったくさっ)
(これだと貴族からしてみたら、貴族の自由を翳せるし)
(貴族同士の主義主張にだって、やりすぎや締めすぎはダメでしょうぐらいの意見はあるのだから)
(為政者が用いると途端に意味がすり替わるくささを拭い切れていない)
> そうでは無いとした自負を翳して誇りたいなら
> それこそ衆愚化しないようにする為の教育について、もっと問われていたっておかしくない
‥でも思いっきり「競争教育」→「ズル上等」でもあったりで、どうにも糞ッ
‥というか、教育というより「本能焚き付け誘導」っすから
(本能を焚きつけられて其に同意していた層が、下克上上等に偏ったりするのは初期的な流れ)
(その手の初期的な流れの勝ち組に酔いしれる奴らは、歴史軽視の糞野郎ばかり)
‥お互いにその程度のおつむなので
何が正しいかを議論できない口なので、多数決正義を誘導しだしたのが流れか‥
そもそもの「デモ」の精神性誘発の期待感なんざ欠片も無い
つまりそこには、原初期待のデモクラシーなんか無い
‥欧米趣向の行き過ぎた個性化や資本中心はデモクラシーなんかでは無い
‥ネイティブはよく言葉を替えて附するのだから、感度と自覚はあるらしい
‥勘違いにもすべて民主主義だと思い込むのはどちらかというと日本だけ草っ
> ということで今度は「民主主義」の語感
‥「民主」を漢語で解釈すると
なんと、「民ノ主」すなわち君主の事だった‥(痛ァアアア)
天皇を崇め奉る国民性としては
どうにも‥国民主権が天皇の判子(御璽)にすり替わっちゃうのもOKとした語感だった
(実際には、衆愚化しており、自民党の判子にすり替わってるも同然)
(自民党の判子=横田幕府の采配‥まぁあるじ違いだったわけだが、意味としての差は無かった)
(そいつらが今や中華寄りなんだから、まんま漢語としての意に先祖帰りってか★)
‥との視点から問うと
民主党なやつらの君主と自民党な奴らの君主というのが君主違いだった
君主が国民で無き場合においてのみ、正確を期する為に「○○民主党」単語が翳される草
(まぁそういう中身ならお家主義体制だって事に揺るぎなき体制が日の本の事情)
> とういことで民意反映とした適切な翻訳こそ
> 民立主義(みんりゅうしゅぎ)になるらしいっスね
> (そういう意味合いともなると激震っスね‥ためらいもしちゃったと‥)