↓3)記稿.2021/09/11
> 小麦の種まきは秋、収穫は初夏から夏(寒冷地ほど作付け期間が長めになる)
> 米は、田植えが初夏、収穫が秋(寒冷地での稲作はどう頑張っても収量に恵まれなかった)
‥小麦地帯では、温暖な土地寄りに、冬にのんびり、夏にバカンスありき(白夜なら尚更)
‥稲作地帯では(主に豪雪地帯)夏は草抜き、冬は篭もって手仕事ありき(収量が少なかったから)
もはや説明するまでもあるまい、一目瞭然だ(千年超に渡る蓄積は相当だ)
西洋圏では、夏に暇になるので、バカンスを身に付け(娯楽大好き)
東洋圏では、冬に暇になるので、細かい作業に集中してきた(日本人の手先器用)
> だがしかし、論点はそこでは無い
‥西洋で夏に暇になると言う事は
開拓作業を夏にやらかせると言うことである(進捗が早い)
稲作では、夏に草むしりをやらざるを得ないので、冬にしかできない(この差は大きい)
‥さらに、開拓をそれ以上必要ないと判断したならどうだろうか?
森を失うよりは、奪いとれば良いとなる
夏に戦の仕込みをしておき、冬に仕掛ける‥(感覚としては逆だが、装備の都合を加味‥)
これを繰り返してきたなら、死の商売に手を染める輩が集中的に登場しても不思議は無い
‥これを中華に置き換えると
北部は小麦、南部は稲作で、三國志の国勢拡大の有り様に見事に一致する
‥これをさらに日本と比べると
北東部に肥沃な平原が有ったか無かったの差がとにかく大きい事が解る
もっとも、横並びで稲作だったなら、尚更に不利だったことで一致する
> バカンスを安心して過ごしたかった西洋貴族の嗜好が
> 戦争をして捕虜をゲットし、奴隷として売り飛ばして、格安雇用を得る事だった
‥西洋貴族も、始めのうちこそ天下統一クサい侵攻に憧れはしただろうが
バカンスを介することで、その辺貴族同士でどうにでも身内になれちゃうって流れにあったのなら
誰がどう考えたって、戦のそもそもの目的が奴隷ゲットだった事になる
(誰もがバカンスしたかったら、尚のこと奴隷文化は勝ち組の心得だったに違いない)
(日常においては、貴金属を身に付けておく嗜みとした裏返しの様な扱いもあったろう‥)
(自分たちの支払いの不足を奴隷で補って精算したとかなんとか‥も含んでいたはずだ)
(ならば清算勘定として、どれ程の労働力をその戦で失ったかも代価の内だったかも知れない‥)
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