↓(15)向宜詠吟.2021/10/28
令和3’10’19
沼津市・潮音水曜句会
|出向かねば忘るる村や鰡跳ぬる
※どうにも、何を言いたいのかがよく解りません
鰡の跳ねる時期だというのに、あそこの漁村は過疎で勿体ないんだよなあ
とかなんとか‥そういう事なのだろうか?
|出向かねば忘るる夢や雲の峰 されど犇めく過度辛辣と
> 誰にだって夢がある、歳老いようと夢がある
> そうで無いかも知れない、夢を描けずに終わるかも知れない
> だが、何であれ、スタートが遅くなればなるほど
> ところどころで気の滅入る有り様にぶち当たる
> ひしめき合っているのだからそれは当たり前なわけだが
> 周りもさほど登れてる様子に無いのだから、まぁ何というのか、出向くに気の失せる空気だなあ
(それでもなんとなく名残惜しい気がするのはどういうことなのだろうか?)
(失恋だったら脈の無い相手に未練を残してもなんの意味も無いだろうし、同じにすれば良いはず)
(夢というすり替えほど‥不可思議千万にも諦めの悪い駄々っ子なんだなあ)
> 雲の峰に居る奴らが、登って来られない側になにを思っているかなんて、ほとほと怪しいのに
> どうしてこの道を行きたいと思うのだろうか?(ほんと不思議だなあ)
(登頂を歓迎はするけど、手を貸さない、手を貸せない‥さぁどちらなんだろうね)
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令和3’10’19
袋井市・袋井高南句会
|村と村つながっていく青田波
|村と村とつながりにける青田波 ぐるっとどこもふるさとの夏
> 昔の地図を参照すると
> 明治時代あたりだと、すげー田畑だらけで家数自体がほとんど無かったりする
> 一面の田園が、呆れるほどに続いていたらしい
> それはそれで、ものすげー格差社会だったろうに
> だが‥夏にあたりを散策しようものなら
> なぜか、不思議と田園風景にほだされて繋がっている気持ちに誘われる
> その頃にあった故郷の空気と、今時代の故郷の空気との差は何だというのだろうか?
> もしかしたら、もしかすると、格差云々に差が無いのだとしたら
> 絶望にさえ温もりを見出していたのが‥昔の人の太さと云うことになるのだろう
(機械なんか碌になかったわけだし、これはもう、目を回してぶっ倒れるしかねえかもな‥orz)
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