↓(13)向宜詠吟.2021/11/30
令和3'11'26
函南町・でんでん虫の会
|葉の舞台水玉踊って赤トンボ
※この場合の中七「水玉」の連想は「朝露」だろうか?‥だが、季語は「赤トンボ」にある
ならば、朝早くからの赤トンボに驚きを隠せない着目なのだろうか?(だが、葉に止まってたとある)
すると、雨退避休憩中のそれをたまたま見かけたということか?
‥どちらにしても、寝ていたような赤蜻蛉をたまたま発見して、詠もうとした着目らしい
(人の気配に驚いて、トンボの震動だけで、朝露やら雨雫が下にこぼれたのだろうにせよ)
(誰もが、昼に夕に自由に飛んでる赤とんぼしかイメージねぇし、無理すぎている‥)
(しかも、「舞台」って‥一匹じゃ無かったのかよ‥謎すぎている‥)
> こう言うのは、「ダーウィンが来た!」に持ち込んで、撮影GETして貰うっきゃないでせう
> 蜻蛉は、秋の夜に朝に雨時にどうしているのですか?、又、夏との違いは有りますか?
> (蜻蛉に限らず知りたいz‥既出だったら特集で‥)
|雨上がり水玉踊る新樹光 旅の腰折れ先を急がむ
> やれやれ、急ぎの旅の途中で雨に降られてしまったよ
> 雨上がりの新樹光から落ちる水雫が踊っているように楽しげだけど
> のんびりしていられる用向きには無いのだから、さっさと出発だ
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令和3'11'26
函南町・でんでん虫の会
|窓の虫ぼんやり眺め枯葉散る
※はい、下五にツッコミどころがありますね
「枯葉散る」‥それをいうなら「落葉かな」、もしくは散らかる方で「舞う枯葉」が適切かと‥
‥だが、紅葉の後のしばらくのそれは枯葉なので、表現上の「枯葉が散る」自体は間違いではない
単に俳句での作法みたいな空気なのだった
(一般に、俳句での枯葉は散ってしまった方を指し、紅葉との区別を暗黙的に要求する)
‥さらに、「凩」なんて時節があるもんだから、そこが「紅葉」「枯葉」の端境の扱いだったりする
‥さらに、銀杏のような枯れ方があるもんだから、あれを枯葉が付いてるなんて言う人はほぼ居ない
‥さらに、柿の葉の風情を「柿若葉」「柿落葉」とは表現しても「柿枯葉」はほぼ聞かない
(「柿枯葉」と詠んでも、木守りの隣で枝に付いた様か、落ち積もった様かを、約束できていない)
‥ならば「柿枯葉」が有りかというと、其を詠むなら「柿」「木守り」を詠むのが筋である
(未だ「柿」が生ってるのを尻目に「柿枯葉」などとは、柿の木に失礼だ)
そもそもにして、落ち積もった段階で、柿と種分けで語る事自体が「?」だったりする
(つまり「柿落葉」こそが「柿枯葉」を含んで用いられていると考えて良い)
|秋空をぼんやり眺めはらへりし ネガティブわき来るあれやこれ
> 「ああ、腹減った」
> 秋空を見ていると、どうにも腹が減る、まるで野性の本能だ
> 冬に備えての獣の性が呼び覚まされてくるのだろう
(もはやこうなっては、腹の括り方を選ばざるを得ないなあ)
> 貧困者としての真っ当を決め込むか(餓死&自死)
> 獣とやらを‥やらかしても生き延びるかだ(窃盗&恐喝)
> 「ああ、如何」考えないようにしていても、気がつけばネガティブばかり湧いてくる
(そうに思うと、秋の行楽ほど、襲撃に持って来いのシーズンなんだなあ)
(そうに思うと、ハロウィンって、それの締め日or狼煙日って意味臭ぇ‥)
> そういえば、やらかしてたもんなあ‥京王線のあれは本当に事件だったのだろうか?
> どこか劇場っぽくもあって、腑に落ちない節々も感じられて、やらせくせぇけど
> まぁヨイショで、ネガティブやりてぇみたいな、鬱憤を晴らしたい空気はありありだったと‥
(きっと俺の脳波も‥それらをキャッチ→ネガティブ衝動の形で湧いて来ていたのだろうなあ)
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