↓4)記稿.2021/11/09
‥その昔、王は存在せず、村長にしても森の中の取り分を気にしていないようなら
森の恵みは分け合うのが通例だった
そんな恵みある暮らしぶりは、遺伝子に物々交換と云う‥お礼ありきを刻み込んだ
> 豊かだったからこそ、お礼は、ヒトとしての本能たり得たのだろう(規模も小さいし)
いつしか、農耕が始まり格差が発生した
主な原因は、土と雨の知識の欠乏に由るところが多かった
(安定的食糧確保と比例して人口増も加わる、人口増してそれにぶち当たると相当だったはず‥)
そこによそ者がやって来て、何かしらの奇蹟をやらかしてみせたら
もの凄く感謝されて、毎日のように布施のような収集力を見せる日々に驚いていた
> それは、豊かなわりには格差があるとした確かな違和感だった‥
‥それを見ていた誰かが憧れた
オラも毎日のようにお礼がやって来る暮らしがしたいものだと(なれの果ての資本社会)
(おれいだったそれは、今やすっかりおさつに変わった)
> 食い扶持が不安定になると、誰しも積極的に、お礼気分どころに無く蓄えようとする
> これは本能なんだからしょうがない
そしてそれは、資本社会で成功を見る側も同様だ
無駄に貯め込んでいても吐き出さない(むしろ趣味)
これも本能だからしょうがないとしていると、どんどん貯め込まれて格差は埋まらない
(そもそもが、お礼を自動的に受けとろうってなれの果てシステムだからな)
> 一方で、飢饉ほどに無ければ、豊かさの恩恵はシステムの不公平とされる
> だが、今や気象事情がどれほどに影響するかなど多くの関心はあるようでいて疎い
> 敢えて言えば、価格が安定するようにしている創意工夫など知らぬ存ぜずにある
> 大抵のお花畑脳は、それに気がつかないというか、なかなかに認めようとしない
> ぶっちゃけ、現状の豊かさなんぞは、既得権益が保守に奔ってそっぽを向けば一気に瓦解する
‥まず、裏の世界では曽て、一人辺りの発行量を生涯枠で一億円程度にしていた
勝手に見繕って、その範囲で、政府に貸し付けるという大ざっぱな国債の裏側があった
そのどんぶり勘定には、大規模災害時にどうするか等の案件への考慮などスルーだったろう
(関心があったとすれば、戦争をやらかしたあとの後始末の付け方ぐらいだったに違いない)
そして今や大規模災害は毎年に起こりうるパレード行進だ
平時の感覚で発行枠を決めているととてもじゃないが追いつかない
(つまり、以前に前提とされた豊かさからは‥無縁の流れの中に放り込まれているのだ)
‥ならば、無い所から真面目に掻き集めて「分配」を叫んでも手遅れで糞
‥空気からお金を想像的に発行して貸し付けてるだけなのに、従来通りに返済ルールを守れとか糞
‥それでなくても、円卓の空気からお金を想像的に発行する仕組みは利権すぎて糞
‥其を「公言するな」ひた隠しの恫喝は犯罪なのに、財源の宛のスルーを揶揄しあっても糞
‥旧来通りの債券転がしシステムのメリット推しばかりで、それの欠陥をはぐらかすばかりは糞
‥なんだかんだと、持つ側が吸い上げ優先で、分けないとした態度がありありで糞
‥なんだかんだで、お花畑でも、感謝する方がまだ人間味に溢れているが
‥なんだかんだで、騙されたままに振り回されて担ぐことしかやらかせないんだから糞
> 伝説が迷信沙汰に落ちたのに、頼るところが無いと頼り出すのも大衆のグデグデだ
> コロナ禍でのアマビエ信仰には驚きを隠せない(商魂たくましいとも取れるけどな)
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