↓2)記稿.2022/05/07
> 磨製石器の時代には、斧の痕跡を見ることができる
> だがしかし、森林地帯だった日本を開発した弥生期の遺跡から斧を見ることはほとんど無い
> これの差は、とんでもなく不可解だ
‥弥生期に、大陸からの集団移動がやって来た
彼らはまず、斧を振るって木を切り倒し、その後に田畑を作った
この作業手順は変わらない
(まぁその前段階として、領地を分捕るための戦があったわけだけど)
(人口比がどのぐらいだったかは謎だが、川べりでの争いは必然だっただろう)
‥そもそも、鉄器を作るには大量の薪やら炭が必要になる
大量の炭を得るに最も安価なのは「竹」だ、次に「くむぎ」「ウマメガシ」ということだろう
(ちなみに、ウマメガシは備長炭の材料だが、これが使われ出したのは江戸期である)
(つまり、より強い火力を得られるようになった江戸期の刀の方が、戦国期より上質なのだろう‥)
‥ということで、まずは大量の斧が生産されたものの
森が切り開かれた後には、それらの多くが、耕すための鍬やら鎌に化けたのだと予想される
なので、遺跡から発掘される多くの鉄器に、生活感はほとんどうかがえない(ここ重要)
> とくに東南アジアにおいては、蘆植物に竹という‥薪としてのお手軽素材を手にするにも
> 「鉈」程度の刃物があれば十分で、斧需要の専らは大黒柱用途だったように思われる
> (それにしたって、日本ではとくにノコギリの登場により、そうそうに駆逐されったっぽ)
‥そもそもの斧は、効率を得る為に刃の形状が丸くある
日本刀は、この形状に目を付けた画期的な発想だったのだろう
(そう考えないと、斧文化の痕跡を説明することができない)
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