↓2)記稿.2022/07/31
> ジェンダー、ジェンダーとやかましい世の中になった
> 男女差別問題から、その間の性を取り扱うとした流れはとくに面倒くさい
‥そもそもの現代社会が、無信仰・無神論化し
挙げ句に、無心論に唯物論だ
男女の間の性を唱えるなら、当然、「唯心論」なんだろうな
さぞや、「唯心論」なんだろうな
そうでないなら、間の性の悩みなど論外だ
信仰の自由としては有りにせよ、私見的な領域と見なしても問題ないとされるだろう
> だが、無知にも、そのような意図すらあるまい
‥それにしてもである
男の間に居ると息苦しいから私は女です
女の間に居ると息苦しいから私は男です
そんな言い分から、真ん中の性を造ったにせよ
その手の悩みを抱えた面々を一堂に会して、すんなり納得し得るだろうか?
無論、性別として区分する意味での対面になるわけだが
そこに集ったとしても、お互いの男女面を見合わせることに違いは無いのなら
思いこみにも、此処にも私の居場所はない的なツラをしながら、ぐだぐだ言いそうである
(何はともあれ、今や世界で論じられる性の種類は、二桁では間に合わない勢いにあるそうだ)
> そもそもの肉体的な区分は、医学的な知見から来る要素が大である
> それが集団的とくに教育的視点から、集団としての区分けを考えた時
> 習熟度の差として上位と下位に組み分けられた
> そこから、様々なストレスが発してきた
‥だからその手の流れから
集団に対する互いの見解が異なる意図を「性」とした方向性に置換して騒いでいる
とした考え方もできるのだ
‥それは、あなた方が宗教の始まりを、どう考えているのかとさほど変わらない
神の発生が、脆弱な知性ゆえに、公平性を期待した集団的(民族的)意図だったとするならば
現代社会に起こっている性の多様化視は、その逆で、より自由とした欲求からの
厚かましいほどの個々性の差の主張の集群化した意図の結果に思われる
> そこには、{私なる性}={私なる信仰}があり、それ以上でも以下でも無いのだろう
だが、敬虔なのか、依存的なのか
その上で既存の宗教を受け容れていたりする所もあるのだろう
(それにしたって、汝の都合としたお気に入りの寄せ集めのなれの果てである)
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