2022年07月14日

【経済観】洗脳と頑張りは紙一重

↓2)記稿.2022/07/14

 自由主義とは、カネを貸すための権利の合理的御輿担ぎを指し&借りる権利をも含む
 資本主義とは、「貸し手こそ正義」としたあざとき言い分だった


> 裸の大将が発行権を握って、裸の王様に成り上がった風体こそが、資本経済たる形だった
> だがしかし、裸の王様が最大の貸し手として君臨しようと其が正義かどうかなど行い次第だ


 ‥誰も彼もが彼らの言い分を聞いて、借りねば損損とほだされて
 挙げ句の果てに、自分たち向けに自然を壊して造り直しても良いとまで思い込み
 口糊は、誰かが作付けしてくれるから大丈夫などと思ったが最後

 表面的なそれらやりたい放題を自由主義と思い込んだのは、愚かだったとしか言いようがない


 ‥陽気な海外からの移住者が日本にやって来ると
 言葉の壁も有り、一気に陰気な集群へと成り果てることはしょっちゅうだ

 ‥一方、陰気だった日本人が海外移住ともなると
 十年後にはすっかり陽気な感度を上げており、言いたい放題の口になるのもしょっちゅうだ

 だが結局の所、そもそもの海外にありがちな陽気さとは
 自分勝手自由としたわがままからのお気楽さに満ちており

 彼らのやらかす資本競争とは、それの立場確保から巡らされるズル知恵をやらかす自由を意味した
 ズルをしなければ得られなかったほどにあったなら
 まともに施しを考える頭など有るわけも無し

 ズル容認こそが、陽気の秘訣と言わんばかりのそれに、始めから根気など培ってなどいない
 その証拠として、便利さが進んだ社会における切り替え無理としたゴタゴタを見るばかりだ


> もはや自由など死に体だ、美学無き自由に明日ぞ無し
> 本来の自由とは、節度の自由さであり、節度不要とした向きとは異なる
> そしてそれは、決して勝ち負けを意味しない
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posted by 木田舎滝ゆる里 at 22:24 | Comment(0) | 日記/2022 | 更新情報をチェックする