2022年09月08日

【ネタ文学】信長型の天才性と孔明型の天才性との差

↓1)記稿.2022/09/08

> 信長型の天才とは人材発掘の内政型であり
> 孔明型の天才とは外交戦略中心の外交型のことである
> (この違いを明確に理解していると創作の際に役立つ)


 ‥アニメ「天才王子の赤字国家再生術~そうだ、売国しよう~」を観ていてピンと来た

 この物語の主役である
 ナトラ王国の王子ウェインは弱冠16歳
 父王の急病によって、問答無用で摂政として国政を任されることになった
 ナトラは北方の小国で、資源もなく、経済的にも軍事的にも弱小
 何か改善しようとしても、その資金も人材もないという八方塞がりの状況だった‥

 ‥ちなみに、王子ウェインは、王キの貴族の子息が集まるような学校に留学しており
 その際には、トップの成績を保持する才覚の持ち主という筋書きだ
 (目立ちたくなかったのか、庶民の出という細工をしていたとかなんとか)

 ‥一方、物語の天下の情勢は、帝国が跡目争いで紛糾中
 皇女殿下とは、たまたま学友とした旧知の間柄で‥お約束の空気ありあり‥
 皇女殿下にも継承権があるのだけれど、三人の兄上に阻まれており、踏んだり蹴ったりのお約束‥
 (皇女殿下も目立ちたくなかったのか、田舎貴族の出と偽っていた‥という似た者同士の天才肌)


 ‥アニメを見る限り、王子ウェインは、軍師肌の天才型として描かれている
 まさに、いたずら心満載の性格で、心情は内政なんか面倒くせぇみたいな描かれようだ

 実際、物語の進行は、外交中心に描かれており、内政に関しては出来レース扱い
 無理しない君主には、無理しない家臣が集まり、概ね穏健派という流れ
 結果、ずば抜けた人材という奴は居るような居ないような想定内の扱い
 まぁ中世模様だし、そこそこ仕事をこなしている国家群って感じ
 (帝国が跡目争いに突入する以前は、わりかし平和の空気だったらしい‥この辺は謎‥)


> で、王子ウェインの‥もといこの作品の謳い文句が
> 「そうだ、売国しよう」というギャグ風な発信だ


 ‥無論、王子ウェインが、影でこそっと叫びやらかしているだけだが
 この言葉には、そのまんま、家臣への労いやら育成観という奴は微塵足りとも感じられない
 それでいて「てめえを天才扱いしている」という不逞の輩もとい良い人ヅラだったりする
 (現代社会にごまんと居そうな間違った天才感ありありで草)


 ‥織田信長を持ち上げるつもりも無いけど
 織田信長の天才性がどの辺にあったかはハッキリさせておく必要がある

 まず、教育係が優秀だった事も有り
 自国が弱小だという事をいち早くから理解して、必然的にやんちゃな変わり者を発揮していた
 自分の足で自国を見て回り、人材観察していたのだろう
 内政型の天才性とはまずそのような所からの表現からスタートしなければならない


> これを文学として見ると、非常に手間の掛かる地味な構成能力が求められる
> (この段階ですでに人付き合いを面倒くさいと思うなら無理っ)


 ‥結果的に信長は、武士の次男以下の若者を従えて
 いずれ直面するだろう今川戦に備えていたわけだが
 結果的に、その何度かの今川戦で友として慣れ親しんだ仲間の多くを失うハメになる
 それどころか、てめえは、弟を自分の手で手掛けてしまうと言う運命だった

 これは或る意味で、皮肉というか矛盾した空気を漂わせている
 結果的に、織田領は嫡男勢で固められてしまった観がありありだ

 その後も信長は人材発掘に精を出し、その才は褒美病とも言えるほどの凝り性で
 その凝り性は茶器を広めることになった流れを産み、さらには、貴族のもてなし趣味へと至った

 だがしかし、宣教師から地球儀を見せられてから空気が変わったように思われる
 呑気にやっているだけでは、世界を取れないとか何とか
 (まさに、ちゃぶ台返しのような野心丸出しにハマっちまったとか何とか)
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2022年09月07日

【ツッコミ隊】やはり未来燃料としての候補は水素より水っしょ

記稿.2022/09/07

> 水素社会の想定は、車両用燃料から始まる石油代替に思われとるわけですが
> ガスや石油ほどの利便性の確保(カートリッジ運用)が成り立つかというと
> 諸々とした課題が付きまとうようです


 ‥例えば、耐候性
 業務用の酸素ボンベを夏の直射日光に晒しても、急激に膨張しない造りなので誰も気に留めません
 水素車に搭載する水素燃料器にしたって同じでしょう

 だがしかし、カートリッジ式のボディ強度ともなると怪しくなってきます
 (まさかのカーボン繊維とかあり得んだろうし‥)

 お店で買ったまま‥うっかりと夏場の車内に置き忘れボカン‥とか
 粉塵爆発テロやらかした電車に乗り合わせた人のリュックにたまたま誘爆ボカン‥とか
 (などなど‥その辺の膨張云々についてまったく識らん)



 ‥そういう諸々の知識普及を世界規模で理解しようから始めないとならないのは
 問答無用で敷居の高さを印象付けてしまうわけでして(業務用レベル)
 EV車にしたって、その辺の電池性能については黙秘されてる段階です
 (モルモット実験させられながらの長期的修整方針なんざ犯罪行為そのものだ)


> ということで、まんま「水」でやらかすしかないと考えざるを得ないでしょう


 ‥だがしかし、泥水でも走るってわけでもないわけで
 水質基準について徹底した情報開示が欠かせず、そこがまぁ規格になるわけですが
 水質の違いが、システム寿命としてどのぐらいの差になるかという表現で語られるわけですが

 どちらを飲んでも問題ないと言われると誰だって「?」に陥ります


 ‥そこでこんな話をぶちまけてみましょう
 「電子レンジでチンした冷まし水で植物は育たない」との情報があります

 電子レンジ好きがこの話を聞いてどう思うかは知りませんが
 ヒトが生きる分には問題ないとして、大ざっぱにも切り捨てることでしょう
 まぁ、その手の解釈とさほど変わらないなら、商品の差別化に失敗する流れになるわけです


> ‥そこで消費者に植え付けるべき商法としては
> トイレ回りの資材交換と同じで、水素燃料器回りの交換は費用が高くなりますと
> その辺りでふっかけるしかなさそうです


 すると、無茶なまんま吸水やらかしを避けて
 店頭に並ぶ濾過カートリッジぐらいしっかり介すかも知れません

 (まぁガソリンを買うよりは割安感ありとしてみられれば)
 (飲料浄水する方のカートリッジ価格もつられ下げするかも知れません)
 (結果、カートリッジそのものにプラスチックの類は使われ続けるでしょうけど‥)
 (アスファルトを生産保持するのにその程度の石油利用は必要不可欠とか何とか‥)


 ‥航空・船舶・鉄道交通やらで水素を扱う規模程度にしても
 実は、大量の炭素が副産物としてでるわけですが
 それを再利用して、濾過カートリッジを作れれば、まぁうまく回りそうではあります‥


> これは水素開発投資が無駄になるという話では無い、棲み分け方の問題なのだ
> そもそも水素を作り出すと同時に排出される酸素吸着→CO2についてはスルーされている
> (地下埋設辺りが候補なんだろうけど)


 ‥触媒を介して作り出させる炭素がどこまで煤状になりやすいのかは知らんが
 気体のままに排出されるわけでは無いだろうから、再利用はしやすいように思うも
 その程度を濾過カートリッジのレベルまで固めるのはしんどそうに思うも
 飲用水用に用いるわけでも、加工用に用いるわけでも無く
 ただ単に水道水を燃料にして問題ない状態に濾過するのが目的なのだから
 砂粒のような形状の粒々としたできそこないでも構わないだろうから
 そのぐらいを目標にするなら如何様にもなるのではないかと想像する

 投資を続ければそりゃ進化するだろうけれど
 結果的に飲用水用途にも使えるようになるだろうけど
 いきなりにそこまでを求めても狙いすぎに思う

 (なんだかんだとグラフェンの素材化してたりな‥)



posted by 木田舎滝ゆる里 at 17:27 | Comment(0) | 日記/2022 | 更新情報をチェックする

2022年09月05日

【着目】軽トラと道の駅から始める水素社会とその課題

記稿.2022/09/05

> まず、水素ステーションを道の駅に建てましょう
> 次に、水素燃料を軽トラから始めましょう


 ‥問答無用で、その手の農業モデル地区ありきになりますが
 軽トラの利用距離にしても、概ね想定内なわけですし
 実験規模としては無理の無い案だと思います


 ‥水素になれてもらうと次はトラクター等の耕作機械にも
 とした段取りになるわけですが

 「いやいやいや、水素を取りに行くのにどうするんだい?」って話になりますよね


 ‥ここの課題がクリアーされない内は、結局無理なんじゃねぇって話っすよね
 アシストロボにも水素のカートリッジで動いて欲しいとか、夢のまた夢の話っすよね


> ぶっちゃけ、ガソリン以上に取り扱いの勝手の悪い内は、無理
> ぶっちゃけ、ガソリン以上に取り扱いの勝手の悪い内は、無理
> ぶっちゃけ、ガソリン以上に取り扱いの勝手の悪い内は、無理


 ‥痛ぁぁあああ、何が水素社会だよ(テロの危険性を考えたら絶対に無理)
 そもそもにしてテロの主犯は、カルトだって話なのだから(マッチポンプ)
 自民党が与党の内は絶対に無理!!!(まぁ根っからの石油利権党っすけどね)


 ‥石油利権に害が及ぶようならカルトが動き(拉致・暗殺)
 カルトに支援された政痴屋&マスゴミがもみ消しに動くという三段構え
 なるほど、見事なカルテル劇団だった(抜かりが無さすぎて草)



posted by 木田舎滝ゆる里 at 16:19 | Comment(0) | 日記/2022 | 更新情報をチェックする

【ライフハック】雨戸を閉めてそのままそこの窓を開けて…(暑さ対策)

記稿.2022/09/05

> 普通に考えれば、簾で十分な話になりますが
> これは、簾を吊せるような引っかけが無いできない場合の暑さ軽減処置どえす


 (毎年の夏に、二階用に簾を買うのもなんだかなぁてか)

 ‥今どきの夏の日差しが部屋に差し込むと無駄に暑さを室内に補給してしまうので
 まず、雨戸を閉めます
 そして、そのままそこの窓を開けます(網戸もしっかり寄せましょう)


 (夏場を過ぎても差し込む日差しは無駄に暑い‥時なんかに重宝‥とか何とか)


 ‥これは、雨戸だけを閉めても熱がこもり出すので
 窓を開けて、こもる分の熱を部屋に招いて軽減するのですが
 そのままでは、室温が上がってしまうので
 扇風機を回します
 (だがしかし、熱排気するには、北側に窓もしくは扉の開放が条件になってきます)
 (日が傾いて南側に差さなくなったら、東方の雨戸を開放して網戸にしたりします)
 (戸袋が西にある場合は、そのままスライド連結状態で収納し、網戸を西に寄せたままも有りです)
 

 ※ 北側の窓は全開が基本ですが、色々としたニオイが侵入してくるのが悩ましい
 ※ 日照を取れない状況だと部屋が真っ暗になるので、灯りを灯すとその分の熱で室温上昇します


> これは、単純に、パソコンケースの熱排気と同じ理屈です
> なので、空冷で対応するにも限度が有り、概ね室温35度あたりで限度でしょう


 ‥遮光カーテンで十分に思われるわけですが
 何の効果もありゃしません
 窓とカーテンの間に空気の層が生まれるので、その間に熱気が生産されるばかりでしょう
 (部屋寄りだけ日陰にしても無意味だった)
 (雨戸を閉めてそこの窓を開けた方が、なんぼか風が通るのでましになるわけです)


> このような流れから、エアコンの改善点を述べるなら


 エアコンを南側に設置してしまうことで、室外機も南側になるわけですが
 よくよく考えると、排気効率が非常に不味い事になってるはずです
 (室外機が暖まることで、排気熱の温度がさらに上昇してしまうわけで)
 (すると、逆流してくる空気があるわけで、冷却効果がその分損していることになる)

 なので、夏場なら、エアコンは北側に置きたいところですが
 そうすると冬場の暖房で、地域によっては逆効果になりそうです
 (まぁ北風除けして済む程度か否かでしょう)
 (夏場の南側で、室外機に日陰を設けても、余程の日陰でも無い限り無意味でしょうからね)

 ※ そんなこんなで、昼間なら、雨戸を閉めてエアコンの除湿をやらかすのが良いのかなと


> 「え?、35度を超えたらですか」
> もちろんエアコンなんて使ってませんのでそのままっすね
> 有ったとしても、「除湿で十分」で、除湿だけの方が電気代は圧倒的に安上がり
> 28度制限とか‥あんた何勘違いなこと言ってんの?‥としか思えへん


 ‥まぁできれば、もっと風量の大きい扇風機が欲しいかなぁとは思いますん



posted by 木田舎滝ゆる里 at 04:49 | Comment(0) | 日記/2022 | 更新情報をチェックする

2022年09月02日

【ツッコミ隊】矛盾点の発見が意識拡張に繋がっていくと仮定する

↓2)記稿.2022/09/02

> 日常はなぜ矛盾に満ちているのか?
> それの多くは、伝承されてきた断片的な情報や知性だったりする
> なぜなら、矛盾性に対して真剣に向き合う輩が圧倒的に少ないからだ


 ‥自ずから世の中に矛盾点を見出し、教わった以上の知性を獲得しようとする者の方が少ない
 ‥矛盾点に気がつかされても「だから何?」との反応の方が多いからだ

 例として、矛と盾が挙がるわけだが
 生活の必要上それの性能や性質は、使用する側の要求を満たせれば十分とされている
 そんなこんなで、イタチごっことした矛盾性の多くがそれに該当するものと思い込まれている


 ‥だがしかし、使い捨ての利便性の矛盾を突きつけたのがプラスチックだった
 そしてそれは、分解されないとした要素テーマの持ち上げだった
 そしてそれは、分解されないとした要素自体が、環境物質全般に当てはまる流れだった

 (ゴミがなぜゴミのままかと言えば、自然分解(酸化)もとい微生物分解されにくいからだ)

 プラスチック問題をきっかけにしても、未だそこまでの理解に至る程の知性欲に目覚めるに疎い
 それが人類の程度だ(高等教育も糞も無い)

 (ゴミを拾うだけなら高等教育云々は関係ない、そこにあるのは単に人間性の質だけだ)


 ‥一般に多くの者らは
 日常を保つのにそのような思考は不要と言わんばかりの矛盾を連鎖させていく
 とくに、チタンとフッ素は、分解されずに体内に残り続ける二大要素なのだが野放しにある

 (科学的研究は物質正義に思われているので)
 (利用できる物はなんでも利用する資本主義と合致している)
 (結果、雇われることで多くは科学者もどきに成り下がり、指令待ちロボットと化する)

 まず歯ブラシはプラスチック製で毎日削られたマイクロプラスチックを口の中で游がせるわけだし
 チタンやフッ素にしたって、まんべんなくコーティングされた鍋の表面の剥がれを気にせずだし
 歯磨き粉の成分に至っては、それらに加えてアルミニウムなど違和感有り有りバーゲンだ
 枯葉剤で失明するのは明白なのに、白内障は老化だと信じ込み
 農薬を使うのは普通だからと、どの程度の濃度にあろうと同じだと思いこみそれらを毎日口にする
 (枯葉剤と農薬の分子構造は違うと言い張ろうと、扱う原材料と企業方針は同じだ)

 まさに健康を得たいのに、不健康極まりない環境に置かれている次第をスルーする
 (とくに砂糖が一番に怪しいのだ)


> ならば、注目する者とせざる者との意識差は大きいと言えよう
> だが、見た目としては、まだまだ矛盾点の解決に至る程には無い


 仮に、矛盾点を解消させた世界の平均寿命が二百歳超えだったりしたらどう思うだろうか?
 いきなりに、平均寿命を千歳程度まで引き延ばせるほどの矛盾点解消連鎖だったらどうだろうか?

 そこまでの違いを予告されたら、嫌でも目から鱗が落ちるのかも知れないが
 それは矛盾の焦点が、矛盾に無くなって、焦点がずれたからだ

 矛盾の焦点がずれることで、圧倒的に要求が変わるのだ
 (それはとくに、矛盾性を克服したわけではない)


> だが、科学的な反芻のままの思いこみなら、矛盾性の克服とは
> 例外を発生させない方程式の完成のようなものだとの意識付けがある(洗脳)


 だがしかし、科学技術の多くには想定値が存在する
 想定内であれば成り立つが、想定外なら無力同然と化するのだ
 その程度を万能だと思い込まされているのが大衆だ
 (否、思い込んじゃっているとした見方の方が実は正しい)

 焚き火には焚き火の利が有り、マイクロ波にはマイクロ波の非がある
 それら詳細を知らずに毎日の御飯を「チン」で済ましていれば、その手のチン脳のできあがりだ

 (簡単で手軽が便利と意識付けされたチン脳を‥矛盾の焦点からずらすのは非常に険しい‥)
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posted by 木田舎滝ゆる里 at 17:35 | Comment(0) | 日記/2022 | 更新情報をチェックする