2022年11月16日

【ネタ文学】異世界の城郭と人口比感覚は謎めいている

記稿.2022/11/16

> 史上最大の城郭は南京城、ぶっちゃけその内側は、山手線の内側より広い
> これを江戸城下と同じぐらいと解釈しだすと混乱しだす


 (江戸城下も総構え扱いだけど、厳密には怪しい)
 (城下に大火が発生したら、城まで燃え移っちまいましたって総構え機能していないわけで)
 (水路にしたって、あくまで輸送用であって、防衛能力までは無かったくさ)
 (ちょい火矢すら防げなさそうな総構えを、総構えだったとして扱えません)


 ‥小田原城の総構え外周は9km程だったそうだ
 つまり、2km四方ぐらい
 で、西洋の平均的な城郭は1km四方ぐらい(ヱ?)

 思っていたよりかなり小さい
 それだと、燃料としての樹木込みで、守兵とその家族が立てこもる程度にしか見えない
 (家臣とその一族しか村人がいない残念な村みたいな様相)
 (農民なんか蚊帳の外だったという残念な北条家に見えてくるっす‥ンゴ‥)


> 城郭の中に避難させて魔物から国民を守ろうとするには、何か違う(ここ重要)


 ‥一般的な異世界の城郭とした感覚は
 城郭の中に城が描かれているわけで、その城とした規模そのものが、多分、西洋の1km四方ぐらい
 それを内包して、外郭で被う規模が問われるわけだが
 そちらはそちらで、中華の規模を想定せざるを得ない

 (それだとどうしたって、物理的に、木材建築前提になる)

 なので、西洋式だと、石材をどこから集めてきたのかという謎が付きまとう
 しかも魔物の出現ありきなんだから、ぱねー守衛規模を毎回の護送に要する

 (そもそも荷馬車で輸送できるのは、レンガのレベルっすから)
 (巨人族に協力して貰うかしないと無理ッ)

 つまり、どこもかしこも魔法で造ってあるとしか表現できない想定になってくる‥
 (そんな土魔法使いだらけ、もとい強力な魔法使いがゴロゴロしていたとかなんとか)
 (もとい、ブルドーザーやクレーン百台分の土魔法をやらかすドワーフだらけくさっ)


> 魔法で色塗られるべき想定をかなり下回っているのが、今どきの異世界モノらしい(残念)


 ‥否、ドワーフ族評価が低すぎたオチにしてしまうのが手頃に思われる
 (すると、熟練ドワーフの基本的戦闘力が、聖騎士級、魔法騎士級としたオチになるわけだな)
 (ドワーフ娘の奴隷なんて、酒代のツケを溜めすぎて、娘を売りましたって糞オチっすね)


 ‥結論として、日本民族に投資しないで居る地球文化は今や有り得ないのと同様に
 ドワーフ族能力が存分に発揮されてこないと、もはや異世界文化は定義不能
 (ドワーフの土木能力を、ユンボコンマ5程度に扱うようでは低すぎる)


 ‥とはいえ
 高度な錬金術にまで長けたドワーフは、最上級で稀少としておかないと辻褄が付かないっす






posted by 木田舎滝ゆる里 at 17:21 | Comment(0) | ネタ文学 | 更新情報をチェックする

【ネタ文学】江戸時代からすでに都市と地方に、柔らかな格差構造が出来上がっていたクサい

記稿.2022/11/16

> 江戸時代の武士と僧侶を合わせた人口比は一桁台の予想を超えることが無い
> だがしかし、東海道のような主要門前町とした中身で見ると
> 八割方居るはずの農民が一桁台だったりしている(米沢藩一歩手前みたいな)


 ‥是はつまり、江戸時代は「商人の時代」と言われている中身とは明らかに異なっている
 「商人の時代」とされる対象は、あくまで街道として整備されている範囲であって
 そこから外れたルートでは必ずしもそうでは無かった

 かような推理が思い浮かぶ

 しかも日本では、西洋とは違い荷馬車の都合による一極化が起こらなかったので
 ハプスブルク家のような市場の寡占構造に無かった
 代わりに日本では、米相場を牛耳じるような特異な逸材を発掘するに至っていたわけだが
 彼の者を筆頭に、なぜか地方の方に勢いが有った痕跡がちらほらしている

 それはなぜか?

 つまり役人が年貢とした形に縛られていたからと予想される
 西洋貴族は、領地にあるものはすべて俺の物とした視点で物を考えている
 だが武士は、仏教やら儒教の教えに忠実なところが見られるので
 そこまでの無理強いを迫る考えをしない者が多かった(天皇存在も在ったわけで)


> これはつまり
> 役人が少ない地方では、コメ以外の特産物に、縄張り意識を介入する余地が起きていた


 ‥そもそもにしてお家のお取り潰しに目を光らせていたのが、家光だったわけで
 お取り潰しをこまめにやらかした結果、狭い領地経営を迫られるお家もあったわけで
 そのようなお家では、米沢藩のような無理をせずに、小さく経営していたわけで
 役人が極端に少ない藩もあったと予想が立つ

 役人が少ないともなれば、それに目を付けた連中が現れる

 それこそが「ヤクザもの」と言われ始めた連中だ
 伊達に日本のマンガに、江戸時代のヤクザものネタが、ネタだけで存在しているわけでもなく
 当時に、きちんとした存在感を担っていたと解釈できる

 彼らの多くにしても仏教の教えに感化されていたので、大事に物事を構えることを避けていた
 そもそもの彼らの賭博場が境内の中だったのだから、神仏の激怒に触れるような真似はしなかった
 だがしかし、縄張り争いはやらかしていた様相にある
 でもまぁそんなこんなで、カタギには手を出さないとしたスタイルは貫いていたと言える



> では問題です、彼らの資金源は何ですか?


 ‥つまり、地方の特産物だったと推測が可能になる
 すると、調子こいた行商人には目を光らせていたと考えて良い

 見方によっては、商人が地方の特産を持ち込んでくれるのだから
 グルメ三昧を少ない元手でやらかせるような話だが、そう考えない連中も多かった
 (その違いの差を、全国の給食のアタリとハズレとした名残に見られるとしても過言では無い)


 ‥自分ところの土地の特産をよそ者にかきまわされたくないと思えば
 そこの治安を地元のヤクザものが押さえてもいるわけで、旅籠からして押さえられているわけで
 そのような土地での商いはヤバイとした噂は広まるわけで
 地方にもまた、ヤクザの支配構造上での商いのし易さとした格差があったと予想が立つ



> では、彼らは集めた資金源をどのように使っていたのでしょうか?


 ‥いやまぁ当然として、小競り合いをやらかす為の刀を買う資金に使ったでしょう
 そうすると、地元商人を仲買にして、領主から刀のルートを確保したりなんかしていたりでしょう

 現代社会でも、警察とヤクザが裏で繋がっているとした先駆けが見られたと予想が立つわけです
 (だからこそ、明治の議員の中にヤクザの親分らしき人物もちらほらしていたとなり)
 (それが連綿と続いているとしても、縦割り日本ではなんら不思議ではない)


 ‥そして次に酒の流通です
 賭博と酒は欠かせません、そのような場での酒盛りがあったからこそ、酒需要に色が添えられ
 お江戸の庶民もご相伴にあやかれたって予想になってきます(まぁ濃度は低かったらしいけど)

 (基本需要からしてスカスカだと、交易向けに出荷されませんからね)
 (そしてそのような慣習が、未だに酒税とした形として影を落とすわけですね)


 ‥そして次に、食いっぱぐれた奴らの掬いとした身の寄せどころでもあった
 (いやぁまぁ使い捨ての鉄砲玉とした始まりだったクサいっすけどね)
 (いやぁまぁ使い捨ての鉄砲玉とした始まりだったクサいっすけどね)
 (↑こそが、現代に伝わるヤクザイメージそのまんまって感じ‥(>_<)‥)


> 「仁義の意味を履き違えてるヤクザはヤクザじゃねぇ、ただの鬼だッ」とかなんとか


 (とはいえ、女にしてみればそんなの関係なしに鬼にも見えると)
 (そんなこんなで、吉原が全国一律として牛耳られて在ったかどうかは謎っす‥)



posted by 木田舎滝ゆる里 at 13:01 | Comment(0) | ネタ文学 | 更新情報をチェックする