2022年11月28日

【競争観】世界で日本人がチョロい理由

↓5)記稿.2022/11/28

> 人は現実よりも未知への好奇心が強い、とくに現代日本人は別格らしい
> だがそれは、旧態依然とした伝統やら暮らし向きとの引き換えだ
>(すぐに懐かしがるくせに、いつでも懐かしがるくせに、戻る気が更々なさそうな一体感が糞)


 (人真似や形から入るにせよ、外からの影響を受けやすいというのも同じ定義だったりする)
 (個人差はあれど、現代日本人のそれは特殊な部類らしい)


 ‥毎日同じ物を食べるのは嫌だとか
 ‥毎日同じ服を着るのは嫌だとか
 ‥もっと、らしく生きたいとか
 飽食してくるとその手のあるあるに陥るにせよ、現代日本人のそれはかなり違う

 そこには、未知なモノへの対処対応対策の結果、獲得してきたどや顔遺伝子が血走ってあるのだ

 (日本人は世界と較べて、圧倒的にそこだけが特殊らしい)
 (或る意味とても最先端種族なんだけど、其に自覚が無さすぎるのも日本人だったりする)
 (普通で当たり前になってくると、お互いに評価し合わなくなるもんな)


> そこそこ便利ならそれで善いのではないのか?


 ‥日本人も昔はそうだった
 西洋から持ち込まれた鉄砲を手本に、鉄砲自体の革新はやらかさなかったにせよ
 そこからの工夫の余地を、素朴ながら生活に役に立つ発想へと転化させていた

 (結果、合理的な暮らし向きをしていた江戸人に対する西洋人の眼差しは未知のそれだった)

 当時にやって来た西洋貴族身分な御仁らの先祖は
 庶民を市民としてでは無く、奴隷としてでしか見下してこなかった種族だったので
 従わせる為にも、鞭に変わりうるビシッとした武器が必要だった
 圧倒的に傅かせる為の威嚇が欠かせなかった

 結果、生まれたのが‥拷問装置やら殺傷能力の高い鉄砲に大砲だった
 普通に考えても、そこまでの兵器開発欲求は異様すぎている
 戦争をいつでもやる気満々で有ると言わんばかりに、兵器開発に飽きが無い

 (それがスタンダードでないとダメだという価値観は、どうしたって糞不可解だ)
 (中世の人対人の戦から、使い勝手以上の手段確保に夢中だったって‥キチガイすぎている)
 (そこからさらに、科学的殺傷兵器の概念をアップデートしたいフェチなんて、人外に等しい)


 ‥だが幕末の黒船は、武器輸出を自慢せず、ズバリ、蒸気機関の自慢にして思考をすり替えさせた
 ‥それの衝撃は相当だったはずなのに、日本の教科書は着目が脆弱すぎる
 ‥幕末の侍どもが一番に驚愕したのは、蒸気機関を贈り付けられた一点だったはずだ

 (それが、国家機密扱いに無いとした現実に、驚かないなんて戦略無能の集まりだ)
 (結果、幕末の日本は、見よう見まねでそれに対応せざるを得なくなった)
 (それから、太平洋戦争にて敗戦した日本は、その敗因を基礎研究の脆弱さに据えおいた)
 (江戸人には無かった科学観って奴ッすね)


> 基礎研究が念入りになったメイドインジャパンは、過剰品質と揶揄されるようになった


 ‥そこには兵士前提の‥根性論ありきナァナァ基準とは違うものがあった
 それは、民間人を相手にお付き合いせざるを得ない安全面での配慮だった
 それはとくに江戸期に培われた精神だった

 ‥だが世界にそこまでの精神など無い
 「そんなことはないだろう」と思うかも知れない
 でも、過剰品質だというメイドインジャパンに対する評価は揺るがない

 (競争社会を経た結果と蓄積を、自分たちで正当に評価できていないというお花畑では困る)


> だが、いつの間にやら安全面とした自負は、地球環境の異変と共に地に落ちた感ありありだ


 ‥「日本企業は何をやっていたのだろうか?」という疑問は付きまとうにせよ
 曽てのアメリカの凋落にしたって、似たような話なのだから、科学すべき課題のはずである

 (科学で説明不能なら、陰謀論ありきだって不可解しくない)
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posted by 木田舎滝ゆる里 at 21:12 | Comment(0) | 日記/2022 | 更新情報をチェックする