↓1)記稿.2022/12/01
> 異世界の安宿には釜が一つしか無い
> 美味しい食事を出す宿の釜は、必ず二つはある(そういう辻褄)
> さらに豪邸やら宮廷の釜の数ともなると沢山‥もとい大きな柱の利用数次第だった‥
‥西洋の料理方法はなぜか石釜、竈じゃねぇ
なので、換気に制限が課された結果、石造りでもあったことから柱の数に依存した
‥中華と日本は、木造建てだったので、竈の位置に合わせて窓を配置できた
なので、どこの家でも竈が二つだったに違いない
御飯を炊く用と、おかずを仕込む用
(但し、問答無用で天井が煤だらけになります、虫除けも兼ねていたらしく気にしてなかったと)
中華鍋ともなると、一度火入れしたら、一気に何品も造り出せるので、食も旺盛になる
(但し、子豚の丸焼きなんてのは、薪を別にしてやるので高級扱いだった)
日本には中華鍋なんか無かったので、何品も出すなんて空気を得なかった代わりに
囲炉裏とした三つ目の竈相当と、漬物文化と刺身文化があったので
一汁一采の他に焼き魚もしくは刺身を頂く風潮を得た
つまり、中華と日本では、庶民でもおかずの種類も数も豊かだった分けですね
(庶民文化が栄えていたのに、先に軍国主義を植え付けに来て、後から民主化とか鬼で糞ッ)
> ところが、西洋の石造りでは、窓を自由に配置できない(換気できなけりゃ死にます)
> そこで柱を利用した煙突が発達したわけですが
> 積雪を考えるに、煙突を何本も立てるなんてのはデメリットだったかも知れないわけですが
> そんなこんなで、釜を贅沢に二つなんてのは、家の造りが小さいとそれだけで無理くさ
‥というわけで、パンを外から買ってくるか
もしくは朝焼いて、夕はおかずを作る為の火入れのみなんて流れだったように思われます
というわけで、異世界の安宿の食事もそれのパターンにハマるらしい
‥但し、イタリアあたりになるとちょっと疑問が湧いてきます
ピザにパスタっすから、コンロ向きが、二つどころか三つは欲しくなるはず
どうしてたんでしょうかね?‥謎
結局、そういう品数ありきの豪華さは、豪商の食事風景だったかも知れませんね
(庶民はやっぱりパンもしくはパスタだけだったかも)
(あとは、お店で買うのが一般的だったに違いない)
イタリアは水の都を内包していたことから、汚フランスのうんこたれ事情とは明らかに異なり
ちまっと衛生的にあったので、食に関してもオープンな構えだったとかなんとか
‥そこにいくと汚フランスの貴族達は、爵位構造とした都合からも
一族が一つの城や屋敷に集まって、効率の良い釜利用をしていたとも言えるわけですね
代わりに、庶民のことなんか知ったこちゃないといわんばかりだった臭いと
(フランス革命のそれはまさに象徴的と)
(でもまぁ、集中的に火を料理活用できる環境にあったので、宮廷料理が発達したとも‥)
‥で、イギリスです
味覚がおかしいと噂に名高きイギリス料理の代表は
なんといっても伝統的なブレックファーストのアレですね
まぁ海洋王国だったのと合理的なケチだったのとを併せた保存食の抱き合わせ大会(塩分パネェ)
庶民も問答無用で、日頃から保存食大会に付き合わざるを得なかったと
さすがに飽き飽きしていた人たちが頭を捻ったら
フィッシュ・アンド・チップスが人気を博したくさいと‥
> というわけで、石造り文化だと食が細くならざるを得ない事情を抱え持ち
> どうする気も無かったお国柄だと、遅々として美味しいが手に入りにくかった模様っすね
‥ドイツあたりになるとちょっと謎ッスよね
技術に関心が高いわりには、ビールと腸詰めさえあれば事足りてる空気なんすから
なので、インカ征服の果てにもたらされたポテト無き時代は、まさに暗黒時代だったに違いない
(所謂、自分らの足元の暮らしには、感心を示さない技術脳の集まりだったとかなんとか)
(つまり、ナチスの頭脳はまさにそれの象徴くさいと‥)
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