2023年04月30日

【Window10】22H2が最後バージョンに

記稿.2023/04/30

 Microsoftは27日、Windows10の現在のバージョン「22H2」が最終バージョンとなることを発表した。Windows 10は今後、機能更新プログラムを提供せず、2025年10月14日にサポートを終了する。同社はWindows11への移行をユーザーに促している。


> 早い段階で発表してきたのは、良い傾向だ
> (シリコンバレーの金融崩壊で、かなりの人員を解雇した流れ草)


 ‥ということで、新規換装するか
 Linuxを兼用して様子を見るかという選択を迫られたわけですが

 BlenderやるならLinuxの方が、計算が速いとの情報も有り
 後々を考えると、Linuxを噛んでおくのも有りみたいな‥(悶絶)


 ‥ちなみに、LinuxのWineでWindowsアプリが動くのは
 今のところ32ビットが対象らしい

 (一太郎の類は、32ビットなので試してみたいのだが)

 八桁しかねぇOSパスワードどうにかならねぇのかよ?
 二週間置きに変えないと駄目みたいな空気感はそそらない


> あとLinuxにしたってサポート期限ありきだし
> 旧型をザクッとサヨナラして、新型基準からの一新にだって成りかねない
> (毒接種のなれの果てに、昔の知見を損失すれば、それまでですからね)


 ‥だいたいだな、保険証のせいで、スマホを用意せよと強制されちまってんだから
 余計にシワ寄せが来てる流れで、しどろもどろだよ


 で、いろいろ考えたんだけど

 内蔵メモリーを64GBぐらい積めば、内蔵グラボのメモリー割り当てが4GBを超えるのだろうか?

 超えたなら、内蔵グラボでもBlenderサクサクになるんすかね?
 そりゃ勿論、内蔵グラボが想定スピード化を果たしていないと意味ないんだろうけど
 誰も注目して無さそうな盲点に思えるのだが、実際的にどうなのだろうか?

 (そのぐらいできなんだったら、CPU多コア化の流れとて薄味に思うわけだけど‥)
 (できるんだったら、まるっと新規換装を目指したい)



posted by 木田舎滝ゆる里 at 16:13 | Comment(0) | Blenderしたいんじゃが | 更新情報をチェックする

2023年04月29日

【妄想レシピ】マフィアの拷問焼きは、魚の焼き方にも夢を与えるだろうか?

記稿.2023/04/29

> マフィアの拷問焼き


 ‥日本には「鯛の塩竃焼き」がありますが
 拷問焼きは、其の塩の量を節約しつつ、肉を布にくるんで焼くバージョンと言えそうです

 ‥火を使う際
 肉をバナナの葉に来るんで地面に埋めて、その上で焚き火をして蒸し焼きにする
 なんて感覚をやらかすと、着火もしていない内から肉塊を放り込んじまうわけですが
 そんなのは肉料理をする上での馬鹿野郎なので間違えてはいけません


> まぁ塩加減と火加減が大変に難しそうな料理ではありますが
> 上手に仕上がると旨いらしい(そうなのか?)


 ‥と言うところで、基本概念を整理して、魚料理に応用できないか?
 なぜに魚料理かというと、網で焼いた後の片付けを楽にしたいからです

 でも、焼いた後の布も、片付けが手間そうなので

 耐熱性の高い素材で、できれば熱だけ通して燃焼反応を遮断する
 という魔法のような素材で、魚を包んで焼きゃ、脂の煙に悩まされることも無いだろう
 との発想です

 其を手軽に使い回す為にも、間に、水分を含んで逃がさない素材を熱望するところになりますが
 こちらの方はどうしたって、脂まみれに成らざるを得ないので使い捨てになるでしょう
 (さらに油を吸ってくれる素材を巻く案も浮かびますが、表面パリパリを狙うなら邪魔です)
 (その代わりとして用いるのが、特定量の塩で包み込むになってきます)


> イメージとしては、魚の脂で、表面パリパリ、中はレアという
> 包みやすそうなサイズの魚を、鰹のたたき風にして食べてみたい感じでしょうか??
>(魚で表面パリパリを狙うと、鱗付き等の工夫も必要に思われます)


 でも、廃棄する塩の量が膨大になりそうなので
 廃棄塩の回収方法も合わせて考慮しておかないと、とんでもないことになりそうでーす


> まぁそんな魔法の調理布があったとしたら、お菓子にも活かしたいところでしょう


 表面パリパリ、中はもちもち
 布を逐一巻くとか、剥がすとか、工場の量産化には向きそうに無いので
 手作り高級菓子もしくはパンとした風合いが適当になりそうです



posted by 木田舎滝ゆる里 at 21:49 | Comment(0) | 日記/2023 | 更新情報をチェックする

【妄想】保険証のマイナンバーカード化でテレビ業界消滅!?

記稿.2023/04/29

> 一人に一台のスマホを強要した結果、誰もテレビを見なくなる
> 真っ先にヤバイのがNHK(なので、スマホ視聴でも恐喝仕掛けてくる可能性が大)


 ‥スマホでCMを見て頂けるとなると、テレビの受信装置なんて無駄
 こちらはスポンサー次第だが、ほぼ合意路線くせぇ(まさかのちゃぶ台返しやん)

 (個々人に見合ったCMを一本挟む方が、効率が高いとかなんとか)


> 「え★ッ」そう思えば、そうなるに違いない


 いやいやいや、そうなるとマスゴミ駆除になるわけでして
 まぁなんというのか、2025年以降のテレビ業界の低迷模様が楽しみでーす
 (その前に、2025予言が来たら来ちまったで、生き残れるのかの方がヤバいけど)


> 番組は全部web配信、まぁ視聴者的には、問題なそうな範囲でしょうけど


 ついでだから見ていた時間帯を維持できず
 テレビ業界的には、まさかの視聴率ゼロ番組が露わにされるので屍さらしそうでーす
 (テレビで残るとしたら契約チャンネルのみ‥画質重視みたいな)

 一方、録画する必要性のゼロに向かって行くと
 家電業界も看板ツートップがすっぽ抜けてヤバそうです


> ついに来た、昭和から続いてきたカルチャースタイルが根底から変貌する‥マジ!?
> (そういう流れだったのか‥みたいな)



posted by 木田舎滝ゆる里 at 21:28 | Comment(0) | 日記/2023 | 更新情報をチェックする

2023年04月28日

【予想】平等を数学的に語るとフラクタルらしい

↓4)記稿.2023/04/28

> フラクタル図形とは
> どこから見ても拡大縮小しても同じに見える図形のことだが
> 宇宙を観察研究していると、そのまんま同じに見える事象に出くわすのだという


 フラクタルこそ、平等な「視界」として、理解すべき「接点」に違いない
 (高等数学の言語観として「接点」とは共通解のことを指す)
 (まずは、接触点を介さないと、在るとされる世界の向こう側からして観測不能です)

 で、宇宙がフラクタルな構造にて形成されていると定義した場合

 日常における単純化パターンが、どれぐらい通用するか否か‥の問い掛けにもなるわけですが
 私たちは、そもそもの宇宙の全貌を俯瞰できていないので、比較することすらままならず
 代わりに、似たものを分類し分析し継ぎ足して予想する手法が適当になります
 (それにしたって予想の範囲を超えるところが無い‥其も予想の内)


> そして最も重要なことは
> 私たちの見ている世界が、意識と接触しているとした中身です
>(でなければ、フラクタルだろうと、ただの奇抜な模様の扱い止まりでしょう)


 そこをまず認識しないと何も見えてこない
 超能力やら魔法を扱うのに「丹田」が欠かせないなら、其が接点にあると認識することです

 接点を外しては、数学的な正解解(現象の予測幅)を得られない(科学的常識)


> 意識世界を扱う入口が、フラクタルだとしたら、公平や平等概念を抜きには語れない
> そういうルールが宇宙側に備わっていたと予想せざるを得ないわけです
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posted by 木田舎滝ゆる里 at 13:19 | Comment(0) | 是論 | 更新情報をチェックする

2023年04月26日

【宇宙全史】邪悪から出てきた存在は居ますか?

↓3)記稿.2023/04/26

> 真我 ← 自我 → 邪悪
> 自我にはそういう幅があるらしいというのが宇宙全史の含みだが
> マスゾウくんは、真我から出てきた存在ばかりに注目して
> 邪悪から出てきた存在については言及していない


 ‥ぶっちゃけ、その二つは
 設計した側からすれば同じ可能性でないと困るはず‥

 ‥ぶっちゃけ、地上の人間の傾向では
 真我から出てくる話より、邪悪から出てくる話の方に関心度が高い(謎)
 (アナキンスカイウォーカーとかどうなるの?‥みたいな)


 どちらにせよ、自由自在とは
 どっちの極端に偏っても真ん中に戻ってきて、地上活動に参加して貰わないと実が無いわけでーす

 (そうでないと設計者としては、完全性を担保し得たとは宣言できんわけですよ)

 (別口では、「人間をオーム宇宙外に出荷する」‥言ってますからね)
 (ラ宇宙の種族らとなにが違うんだよ?)
 (漫画「御祭舟」では、そこはツッコまなくて好いみたいになってるけどさ)


> では、自我とは何か?
> ここでは、自転車漕ぎ自家発電に参加することを地上に降りると仮定しよう(転生欲)


 ‥自分で発電した分は自分で自由に使って良い
 ‥創造企画側は、其に抵抗を課して、ちゃっかりとエネルギーを頂戴しちゃっているけどな
 ‥参加者は、頑張った分で夢を描くことになる

 普通に考えても、自我とは、そこに顕れたチャレンジ精神なだけですが

 自我が、悪辣になりだすと
 何とか楽をできないかと余計なことを考え始め
 (集中できなかったり、ぼやきが多かったり、隣の芝が青く見えたり)

 改造を試みて科学と叫んでみたり、みんなのエネルギーを集めて使えば効率が良いと目論み
 結局は、集めたエネルギーの使い方をみんなで決めよう合理主義を目論み
 その手の悪辣が巨悪化すると
 自分たちだけにエネルギーが集まるようにシステム化するように詐欺を始めるわけです


 ‥理屈としては只それだけなのですが
 なぜか其の椅子に座り込むと、ドドーンと人相も思考もすっかりと変貌を遂げて
 なぜか、地上のモノは俺のモノと思い始めるようです

 でも、其れは、管理側からすると排除の対象に成るのですが

 それに投げかけた殺気に触発されて、自己崩壊してくれれば助かるとばかりに
 地上のモノは俺のモノ、裏切り者には報復をッ‥暴走するようになっており
 最終的に、全滅やらかして手放す羽目に陥るというのが邪悪の収束点にあるようです
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posted by 木田舎滝ゆる里 at 20:21 | Comment(0) | 黙示録 | 更新情報をチェックする

【ツッコミ隊】幸福を得る為の時間と生産性の追及の間には、錯誤があり反比例と化している

↓2)記稿.2023/04/26

> 幸福の追求の権利は、幸福の保障に非ず


 すべての人民に幸福を保障するには、科学的な認識と認知が足りず、噛み合わず

 幸福を手に入れる為の追求には、目的化経済競争ありきでどうしようもなく(自由権)
 個々に幸福を求めるのは手段勝手だけど(平等権←私たちの驚くべき錯誤)

 ‥ゆえに
 国家として、個々を手助けするか否かは、互いに予算都合ありき宣言の範疇でしかないのだった
 (党閥対立からの都合と打算ありき‥平等予算<自由予算‥みたいな)
 ‥ゆえに
 (勝つ方に付いていけば、自由権からのおこぼれぐらいには肖れるけど)
 (平等権を他者に委ねては、半永久的におこぼれにすら与れない)


> 理想とする目的が博愛自由社会なのに、実は経済競争上等にすり替わり
> 手段こそルール平等であるべきなのに、早いもん勝ち自由勝手みたいな


 そもそも、財産の保障とは名ばかりに、資産税やら相続税を課していては

 幸福の追求に反しているにもかかわらず(再配分効果からして謎めく)
 誰もツッコまないのは脆弱馬鹿としか言いようがない

 (誰の為の財産の保障だよ、どこにも無いじゃないか!?)

 (金融が、誰に借りて貰いたいかと云えば、返済能力ありき対象だよ)
 (勝ち組寄りからの所得資産から削らないでいては、貸す上での顔ぶりを選べない‥ここ重要)
 (だからローンを組んで貰えるようにあざとい工夫を凝らして借りざるを得ない状況を創出する)

 (所詮は、金融支配の為の保障制度だった‥)
 (始めから、幸福の創造意欲から奪う目的だったんだから憲法も糞もねぇ)

 (資産税相続税の結果、どこもかしこも‥お家の存続からして怪しくなってまーす)
 (それはもう田園調布でさえ崩壊中‥の太鼓判だった‥キビしい!!)


> ‥結果的に、資本主義では、幸福感の飢餓しかもたらさず
> それな幸福の飢餓を以て、経済の循環やら進捗が目まぐるしいほどになったにせよ
> 其を映像視聴の倍速効果になぞらえて述べるなら


 二倍速以上で見ていると見た内容の多くが記憶に残らずに
 しばらくするとすっかり忘れていたりする

 まさに現代社会の目まぐるしさそのものの演出だった

 丁度良いのが1.7倍速ぐらいなのだが
 経済の進捗ペースをそれ相当に落とすなんて器用も成り立たない


> なので、効率、効率と進捗のめぐるましさに、ほだされていると
> 其に付いていくのが有能性からのトレンドと思いこみ
> そこに幸福が待っているのだとしてすがりつく


 結果、心の中には何も残らない空っぽを歩き続ける次第となり
 空っぽを埋める為にも、さらなる革新を要求するばかりに陥るのだった
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2023年04月24日

【詩】僕と君、僕ら君らの間にある断層

向宜詠吟.2023/04/24

僕と君の間には断層がある
僕ら君らの間には断層がある

否、僕と君、僕ら君らの関係性こそが、断層との向かい合いだった
そのように宿命付けられていたかのような断層とも云える何かだった

その手の断層に気がつくことを以て、私たちには自我が在るのだと示したのだろう

そしてなぜか傷付いている‥とても不思議なことだ
(次の瞬間には「なぜ断層は有るのか?」を不特定な自我に問い掛けても居よう)
(さらに断層を否定して「無い方が良い」と叫んでもいるのだ)


‥お陰で
誰だろうと「愛」とした響きと向かい合う時
断層の高さをずらさむとして平たく戻しするよりは
造成工事のように、うわべだけミンチに混ぜ合わせることこそが「愛」と言いたげだ‥

でもそんなミンチな融合を愛だなんて思うのは勘違いも甚だしい

僕と君の右半分と左半分とを分けあって引っ付けたような合体なら
まだまだ僕と君とした形を残していそうではある
上半身と下半身の上下交換としたヘンタイ的な交換のそれでも、残そう意図は見られるかも知れない

でも、どんどん細かくしてしまえば、元の形なんてどこにも無くなろう
そんな状態ともなると、どんどんミンチな方向になってゆく
何でもかんでもグチャマゼの料理に、万人受けするほどの魅力が伴わないように
ミンチな融合方向に、愛なんてあったもんじゃない
(世界中でインスタ映えとはこういう方向と解したら、全部クローンに見え出すみたいな)


‥ならば
私たちが平和を理想として国境を廃し
民族交流とした効率・能率・利便性の追求の結果
ハードからソフトのグチャマゼとした均一性‥つまり統一化を好しとしたとて
つまりは飽きてしまうから新しさを求めることになる

時にはレトロな扱いをしつつ持ち上げたりもしているではないかッ

つまりは国境を廃したからとて、永遠に親善感情を満たせるものではないのも道理だろう
(王族同士で親戚になったからとて、派閥に分かれて骨肉の争いをやらかす人らなら尚更だ)
(所詮は、ハードやらソフトの統一後の経過と同質なのだよ)
(なぜか、諸々としたやりたがりからの問題事象の発生が止まらない)



だから、こう考えざるを得ないのだ


僕と君とが、僕ら君らとが
断層として向かい合う時、そこには、何かが湧き出てくる

そうだ、其を「断層流」とした風なり水に見立てるとしよう

その湧いてきた風なり水の質とやらが
通常と違っていて良質に思えたなら、そりゃまぁ一緒に居てみるのもありかもね‥と思うにせよ
湧いてこなくなったらその関係はお終いって事にもなる

それな「非日常」を

‥お終いにしたくないから、事前的にミンチレベルにて個々に確認を求め合うようになった
(質がお高い同士なら、質もお高くなるに違いない‥どうにも監視社会趣向だった‥)
(私たちが科学とやらに触発されて、ちょっとは賢く見えたとて、その辺はとても脆い)

‥そしてこうにも、尊重し合うようになった
‥出会い頭に何も湧いてこないなら‥何の価値も無い‥(利得上等)
(ゆえに初対面での印象だけは外せないみたいな)



さて、折り返して思慮してみよう
枯れてしまったどうしようもなさにしがみついて‥
それで、毒しか噴き出さない反転が起きてしまっているのなら
他者との関係においても変化があるはずだ‥そうは思えないだろうか?


(そう考えてみるのも有りに思うわけである)


‥でも不思議なことに
お互いに「愛」という鎖やら「思い出」に縛られて、其は裏切り行為だと言わんばかりなのだろう

だがいつまで其れを続けるというのだろうか?
そんなのは愛では無い、ただの「プライドバイアス」だった‥に果てかねないお粗末レースだ

昔に断層として得られた歓びは、断層流とした甘美で得られたそれは‥たまたま‥だった
そうだ、所詮はたまたまだったのだろう

そのたまたまに縛られているのは、本来的(自然体)とはとても思えない
そこで止まっていては、所有行為・搾取行為とした目的性へと依存性へと色褪せていくだけだ

ならばこそと切り替えはやく
湧いてこなくなったら来なくなった勢いで‥破綻ありき偏見ありきにもあった
そちらのほうが賢いとしたあざとさをも見せてきた
(私たちの国家交流にしたって、未だその範疇だ)


だがしかし、私たちの多くは、所詮プライドバイアスがゆえに
格を落としたくないとばかりで‥位階に縛られた如しだ
右から左を選ぼうと、左から右を選ぼうと、本当の意味で次を選べてなど居ないのだ
(それこそ、非日常とした‥たまたまには程遠い)


‥多様性とした愛許を問うなら
プライドバイアスとした鎖で縛り合うことになんら意味など無い

この断層流が一番に甘美で俺のモノだ‥俺のモノにしたい‥等の考えを競い合う方が危うし
そのような獲得上等に、競争上等に、愛も自由もどこにも無し(そう考えるべきだった)


向かい合っても、何ら湧いてこなくなったのなら、距離を置くのは心理なのだからまぁしょうがない
距離を置くだけで済むはずなのに、揚げ足取り大会と化する世界と言う奴は、どうにも謎めいている
(そもそもが人権云々にかこつけた訴訟ありきだからなあ)

(秘密をばらされたくないバイアスを武器にしてしまえる心理世界ともなれば尚更に危うし)
(自らの失敗やら損失を恥じて隠さんとして「始末(改ざん)してしまおう」だなんて危うすぎる)
(弱みを握って強請り盗ろうとか‥まぁそういう類の断層流たる悦も居るのだろうけれど)



> うた詠み終わります、ありがとうございました



posted by 木田舎滝ゆる里 at 13:14 | Comment(0) | | 更新情報をチェックする

2023年04月23日

【ネタ文学】ダンジョンを並行世界になぞらえて見ると

↓4)記稿.2023/04/23

> ダンジョンは階で区切られており、異世界摩訶不思議にも、階毎に別の世界と繋がっている
> これをパラレルとした時間軸になぞらえると
> 階の違いを時代の区切りに見立てて扱えそう‥(時代の区切りは別世界も同然だみたいな)


 ‥すると、何らの地場(惑星)に、似たようなダンジョンが複数あるわけだから
 パラレルとしたうんちくも、何らかの地場にまとまっているとした解釈の想定内に収まりそう

 さらに、一つ一つのダンジョンには魔核があるわけだが
 それは、一つ一つのパラレルには存在する為の魔核代わりの意図を有する形になぞらえられる

 ダンジョンには命が宿るわけだが
 それのそもそもについても、ダンジョン自体が生命体だからと云う解釈同様に
 パラレルも同じく生命体だからとしたよすがを抱え持つ‥斯様な予想が立つ
 (それはそれで、私たちの見ている全てが、超絶強大な生命体の体内の内になる)

 (まぁ医学的に体内の定義はとても怪しく、口腔域を外とも言うらしいけど)
 (それはそれで見えている岩の部分だけを宇宙と叫んでいるようなものですけどね)


> では、それぞれのパラレルを観察旅行に出掛ける上でのマナーはどう変わるだろうか?


 まず、理屈として、ダンジョン間を瞬間移動できるとしても
 知らない世界には踏み込めない
 順序としても、階の入口から入るのが常識(そうしないと核から排除されかねない)
 そもそも生命体であるとすると、常になんでもかんでも同じとの保証などあしからずだ
 (階毎に繋がる別空間のつながり具合が常に同じとは限らない)

 これはつまり

 パラレルワールドを観察するには
 まず、時代ごとの入口となるアクセスポイントから突入し
 それの流れに乗って、目的となる港に辿り着く‥段取りが見られるものと予想する
 (精神的にも‥そうしないと読み取れない瓦式HDDみたいな感じに思われる)


> 裏を返せば、時代ごとの出口入口ほど、生まれ変わりの需要が殺到するとも取れるわけですね
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posted by 木田舎滝ゆる里 at 14:46 | Comment(0) | ネタ文学 | 更新情報をチェックする

【宇宙全史】いやいやいやいや‥まさかの目的が無い臭いんだけど

記稿.2023/04/23

> マスゾウくんは小さい頃から覚醒したい願望の持ち主だったという話


 ‥でもそれは、どこか頭の良い小学生がやらかす
 大学行くなら東大でしょ‥みたいなノリで
 東大受験合格で人生終了にしてしまう受験以外に目的が無かったパターン臭がしている‥

 釈迦にしたって生老病死からの解脱が目的だったわけで
 たまたま真我にシンクロしてましたなんてケースの御仁も居るみたいだけど


> 覚醒に向けた目的(覚醒後の意図)が語られていないという事実に気がついてしまったz


 ‥そこに山が有るから登るだけ
 登山家とはそういうものだと云わんばかりで、生きているなら覚醒目指すでしょうみたいな

 そこだけを聞いていると「そういうものなのか?」‥と思わざるを得ないわけだが

 目的が無くても覚醒は可能???‥なのもまぁ見方としては見物だろうけど
 それはそれで、桁が外れているというよりは、人間離れの逸脱感ありありなのである


> 私たちが居る時代からして終末という特殊性が漂っており
> しかもオーム宇宙での人類実験の総仕上げで、今回の区切りを以て終了とかなんとか


 ‥まぁそこの意味からしてよう分からんのだが
 思うに、死ななくなるという言葉が、別口で発せられてあるように
 次元上昇する事が影響して、外の宇宙人でさえ体験したことが無い状態に移行するくさい

 結果‥その先も生まれ変わる必要が無くなる(生き残れたらの話みたいだけど)

 生まれ変わりたい理由としては、新しい肉体が欲しいぐらいなんだろうけど
 それも何らかの科学ありきに思えるわけだが‥どうなんでしょうね

 (生まれ変わりで戻ってくる選択だと、そこは体験できないわけだが)
 (その先に生まれ変わって、戻って来られるかにしても謎めいてるからな)


 ‥つまり、周りがそういう状況に移行したならしたで
 マスゾウくんの覚醒とした証拠を垣間見せたいというなら
 当人も予告しているように、真我に入った証しとして、姿を消すという形を取る事に成るのだろう
 (服だけ残して蒸発するみたいな)


> で、真我の向こう側を垣間見たいなどと願望しているほどなんだから
> ケロッとした顔で「見てきたよ」をやりたさそうでもある


 それが目的臭くも見えるわけだが、只のパフォーマンスしたいだけの御仁くさっ
 いやぁまぁそれはそれで「覚醒なんて日常でしょ」をやりたいのだろうとしか言いようがない

 だがしかしそれは、どうしたって、どや願望丸出しにしか見えてこない
 (異世界帰りのおじさんがニヤニヤして語りたい‥そんな空気ありありじゃねぇか‥)
 (まんだらけの会長ならありみたいな絵図)



posted by 木田舎滝ゆる里 at 01:24 | Comment(0) | 黙示録 | 更新情報をチェックする

2023年04月21日

【ネタ文学】そろそろ「ツンデレ」を「詰んデレ」と書いてみたい

記稿.2023/04/21

> 「ツンデレ」が世の中に表現されだした頃は、日本にもまだまだ勢いがあった
> その頃から日本の表に、どや顔で台頭やらかしてきたのがザイニチだった


 そんなこんなの「ツンデレ」

 そのザイニチ勢も、今やどことなーくしおしおとし始めている(とくに芸能界)
 そうだ、そろそろ「詰んデレ」と野次ってみるのも有りだろう
 (日本の勢いにしたってそんな感じだし)


> 「ツンデレ」改め「詰んデレ」
> どう解釈するべきかを、述べてみよう


 ‥なぜかこんな人達がいる
 自分より圧倒的に優れている人を見ると

 まずは、自己憐憫な言葉を用いて自分の評価を下げるのだ

 その自分の評価を下げた事を以て、その相手を如何にも評価していますと言わんばかりに‥
 (でも実際は、壱ミリもほめてなんか居ない‥奇妙な負けず嫌いがそこに居る)

 (常に自分が上に立っていたい汚臭を‥まくしたてていたいとばかりに煙に巻いている)
 (強気なツンデレとは反対の弱気な「デレ」って事らしい)


 ‥「ヤンデレ」に近い素地と云えばそうだろうけど
 死にそうなほどに落ち込んでいるわけでも無く‥劣等感落ち自己憐憫と言うことなのだろう
 (カルチャーショックの度に自己憐憫する感じだろうか‥)
 (カルチャーショック大好き=自己憐憫大好き‥みたいなヘンタイさん)

 もっと自分は頑張れるかも知れないのだという位置づけが

 それが、誰かの成果や偉業であって自分では無くても
 シンクロするのは自由だとばかりに気分に浸りたいのだが
 どことなくライバル意識もあって、素直になれず、可能性にのみコソッとデレているみたいな
 (同じ人間なんだからの思いと、それと裏腹な人格が交錯して、分裂しているところがあるくさい)
 (無理と思っている自分も居るわけです)


> 文学表現として使えるように整理してしまうと
> 無駄に落ち込む癖があるわりには、そこから這い上がる自分が大好きみたいな解釈っすかね‥


 ゆえに「詰んデレ」

 だがしかし、這い上がらなければならないテーマを常にアップデート心掛けていると
 テーマが難解になればなるほど、落ち込む落差も激しくなり
 根を詰めれば詰めるほどに、他者からは廃人にも見えるでしょう‥みたいな

 そんなキャラが無駄にご機嫌そうだったなら
 自己解決したんだね‥と遠巻きに観察しているのが良いみたいに思うも
 (早うまた落ちこまんかな‥と雑に思わざるを得ず)



posted by 木田舎滝ゆる里 at 22:19 | Comment(0) | ネタ文学 | 更新情報をチェックする