2023年08月04日

【考察】所詮は体温と気温の差にあり

記稿.2023/08/04

> これだけ暑いと、湯につかるにしても適温探しに迷走するわけだけど
> その基準となるのが体温だった


 体温寄りに、湯温が近づくほど、湯の冷めた感が増してくる
 体温より下がれば、もはや湯船では無い

 つまり 40度以下体温以内にすると、いい湯加減に思えるっぽ(夏場の話)


> これは空冷にも言えるらしい(端境35℃)


 体温より高くなった室温の時、扇風機からの風にはもはやなんの魅力も得られない
 むしろ扇風機の発する熱がうざく感じ始める端境だ(インバーター式が欲しくなる?)

 なので、体温より室温が低い場合のみに扇風機とした利器を得られる
 (つまり、扇風機の風には条件があったのだ)
 (まぁ当然ちゃ、当然な話だな)


> そこから思考を柔軟にして発想を変えると
> 火災旋風の応用がそこにある


 ‥体温より室温が低い時
 室内に風源を二つ三つ用意して、旋風配置して用いるのだ
 気温が下がりだしてる頃合いにやるとその違いがよく判る

 (まぁ除湿した方が、ずっと静かで安上がりでしょう)

 ‥レジャープールに行くと水流を起こしているわけだけど
 その為のウォータースライダーなんだろうけど
 流すことでの冷却効果をプラスしているわけである


> そして、この体温とした関係は植物にも言える事だ


 植物の水を吸い上げる力より、揮発する力が上回ると、途端にしおしおコースだ

 吸い上げる力を増すにも揺さぶるぐらいに風を送って、強制的に運動させるしかない
 普通に微風程度では、微風程度にしか植物の体温だって下がらない

 (水を吸い上げる力を足してやる必要がどうしたって絡むだろう)

 (無論、水を与えずに風だけを送っても意味が無い)
 (つまり、水を飲まずに扇風機を浴びるだけは、冷える効果で損をするみたいな)


> 朝日が健康に良いからとて、朝一から部屋に差し込ませていると
> 午前中から中パッパで糞しょうがない


 なので、窓を開けて網戸をするも、網戸の側に雨戸をしておくのが適切だ(蚊対策)
 で、網戸の方を塞がずにして、窓にカーテンをするのである

 この状態だと風が入って来づらいけど、午前中に日陰を作って室温を上げないようにしておくと
 午後の上昇ぐあいが、体感的にかなり違う

 (午後になったら、窓と網戸の位置を逆にして風を入れる感じだ)
 (まぁ西側に窓がある場合は、午後に是をやるわけです)
 (朝日&西日がダイレクトすぎるなら、雨戸をして窓を開けておくのが適当になる)


> どうせなら、夏用雨戸として、メッシュ入り開閉部ありタイプがあっても良いと思う
> どちらかというと、熱が篭もらないように、熱反射塗料が塗られてあるべきだ


 (エアコンさえ有れば良いとだけでいると、この手の知恵に価値を得ないどえむ)



posted by 木田舎滝ゆる里 at 13:39 | Comment(0) | 日記/2023 | 更新情報をチェックする

【宇宙全史】真我=混沌ならば、成功の概念からしてまるで違うでしょう

↓2)記稿.2023/08/04

> 人生をどんなにあれこれ思い描こうと「自己満足」止まりだ
> 「自己満足」として、どこに落とし所を付けるべきか‥でしかない


 ‥不思議なことに、思い込みにも憧れからスタートしていたりする
 若しくは、意味不明な裏付けの無い自信からスタートしてたりする

 其に縛られると、其の籠の中で飛ぶ姿を‥夢・勇気・成功などと思い込んでいたりする
 実に不思議なことだ


 ‥実際、あなたの仕事はどれ程に役に立っただろう?
 未曾有の台風一つで吹き飛ぶ程度なら尚のことだろう
 蒸発禍とした熱波一つで命落とす程度なら尚のことだろう

 所詮は、無力だ、無力のくせに
 すべては席順だというし、資本力だというし、結果だという

 結果だというなら、それこそ、てめえが折れた時が負けだと語る話だろう
 水に流された、熱に冒されたというのも負けだとしている話になってくる


> なればこそ、てめえが敗れるイメージを持たぬ者は脆い
> 其は、公平たる意識が脆いとも言えよう


 そもそもにして、成功としたイメージが脆弱なのだ
 志の程度、矜持の程度が、目先での人並みで横並びでしかない程度なのだ
 だから、それこそ自己満足という程度がやっとだろう


> では、問おう
> 自己満足でしかないなら、自己満足で良いらしいのなら
> 貴方の道のりを自己中上等で染めるかね?
> 自己中上等に邁進する社会をライフしたいかね?


 貴方がもし、たとえ自己満足だろうとも、自己満としてのレベルを上げていきたいのなら
 貴方が感じる程度の低さとやらを手放して行かざるを得まい
 (ヒトによってはその逆も有り得るだろう)

 それが辻褄なのだよ、そこに辻褄があるのだよ(成長)


 ‥だが、多くの者には免疫が足りていないようだ
 成功する‥もとい成功したいイメージしか思い描けないがゆえに
 失敗に踏み込んでしまっているという時点で気がつけない


> そこに素早く気がつくには、魂的なうんざりするほどの失敗経験としたすり込みが必要だ


 ‥ここが肝で、真我=混沌として解釈したなら
 真我には、経験値が圧倒的に足りていない事になる
 なぜなら混沌と同じだから、価値観が等価だから、失敗してみるまで馬鹿丸出しとも言えよう

 私たちの本質は、失敗して貰ってなんぼで、真我にエネルギーを奪われているも糞も無い

 宇宙の原初からして、始めから何も知らないのと同じ所からの積み上げをせねばならんのだ
 (全知全能なんざ、露骨に語りだせば、それこそただの思いこみだよ)
 ならばこそ、失敗ビジョンに、しかと反応を示して対処できる者ほど重宝される次第に成るのだ


 ‥それにしたとて、時代が時代なら、環境が環境なら
 何を始めるにしても、失敗するイメージしか湧いてこない状況にもなろう
 ‥それにしたとて、イケイケゴーゴーとした環境にしかないなら
 守るより攻撃こそ最大の防御、攻めるが勝ち‥などとした哲学しか採用しないなら

 失敗への危機感が足りないがゆえに、引き返せない負荷を築き上げていたりするものだ(カルマ)


> どうせ自己満でしかないんだ、少しでも身軽の方が良いだろう
> ならば、負荷の軽い選択として、脳内失敗例を総ざらいに感じ取り、選択肢から外すべきだ
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posted by 木田舎滝ゆる里 at 03:59 | Comment(0) | 黙示録 | 更新情報をチェックする