2023年09月20日

【ザ・終末来】二重スリットウイルスが先か‥2025年7月が先か‥

記稿.2023/09/20

> まだまだ説明を聞いてる中途なんだけど
> こちら側の宇宙人とあちら側の宇宙人とで二重スリットウイルスの睨み合いなんだとか‥??


 ‥「二重スリットウイルス」ってのは著生が名付けた名称です
 (マンガのネタとしてもインパクトありありで良さげでしょう)

 完全覚醒する確率も有すれば、毒を毒のままに煽って苦しんで死ぬ確率も有するという
 何だかよく解らないニュートリノレベルでウイルス的操作をやらかす劇薬だそうです


 ‥まさに、魂の選別どえす(強制モード)
 それを両方の陣営で準備してスタンバってるそうです(へぇ〜)

 (どうにも核兵器の抑止力としたみたいな睨み合いですよね)
 (達人同士の太刀筋の応酬としては、先に仕掛けた方が負けるみたいな阿吽もありえそう‥??)


> 終末期も深まり見どころも増えてきました‥(あんたどんだけ終末世界見てきたんだよ)


 いやいやいや、ノストラダムスの大予言どころじゃないよ
 2025年7月予言どころでもないよ

 おちょこに半分ぐらいの量で、地上のどこぞに垂らした瞬間に
 全人類の日常が震撼するというあら不思議‥とかなんとか


> なんでもその結果、遺伝子が造り替えられるという
> まぁイメージは、「仮面ライダーTHE NEXT」辺りなんでしょうね


 ※「仮面ライダーTHE NEXT」は、映画「仮面ライダー THE FIRST」の続編です
 過激すぎるので
 51分以降の風見志郎役が、ナノロボットで改造済みになる場面だけを見聞するのが適当かと‥


 (‥ヱ?、まじそんな終末が訪れるんですか?‥みたいな)
 (‥ヱ?、太陽系も店じまいって‥地球実験終了みたいな)

 (いやぁどうせなら、正義のヒーローに仕上がりたい‥ですよネ)



posted by 木田舎滝ゆる里 at 14:23 | Comment(0) | 黙示録 | 更新情報をチェックする

2023年09月19日

【ネタ文学】異世界をそれこそファンタジーらしく平和に描く為の着眼

記稿.2023/09/19

> まぁ所謂、魔王存在に対抗しようとすると
> すべての王家は脳筋火力主義にどハマります
> すると、戦をする為に税金を搾るという搾取構造から逃れられなくなるどえむ


 ところが、程々に安定した平和をもたらすには
 その国主らが、脳筋火力主義ばかりでは困るわけです(戦争すりゃ人死ぬし)

 それこそ、国王として君臨する中に、土木チートとした天才が必要です
 その手の才を受け継いだ王族が必要です

 国王が、王家が、何でもかんでも土木チートを駆使して国の母体造りをやってしまう性格なら
 その税金は、確実に市民の見返りとして反映する事でしょう

 (但し、土木は見た目としての仕事に見映えはあれど、終わってしまえばそれまでです)
 (王様がその後にも土木として仕事を斡旋するよりは、アートに内職して貰う方がルネサンスです)
 (古代の其の代表は彫刻です、それもなぜか巨大彫刻でーす‥土木工事と変わらねぇ‥)


> ここの発想の切換をせずに
> 魔王問題云々といつまでも抱えていては、胡散臭いファンタジー止まりのままどえす


 地下資源採掘とした文化の代替としてダンジョンがあり
 脳筋火力が頑張らないとスタンピードが巻き起こるとした筋書きは
 城郭文化を必然とする意味でもとても重要‥

 それに、土魔法によるアート文化を加え繋げることで、貴族の装飾好きもそれっぽくなるどえす

 但し、土魔法の辻褄として土魔法師の魔力量は、火魔法師の魔力量より平均値が倍以上とした
 バランス感覚が求められてきます(そういう辻褄が重要)
 なので、土魔法師は攻撃力が無いそれを、創意工夫で日夜魔法使いらしく切磋琢磨する‥みたいな

 衛兵やら近衛兵とした脳筋火力派は、絵に描いた様に警備や訓練とした名目で褒賞を得られますが
 土魔法師の場合は、土木を主体とすれど、それをずっと続けられる辻褄に無いのだから
 別の所で切磋琢磨する必要になるどえす(ぶっちゃけ器用貧乏なんでも屋)

 無論、この感覚やら才覚が、王様や王家の側にも無いと成り立ちません


> つまり、本来の異世界とは
> 脳筋火力主義VS土木&芸術上等主義の入り込んだ押し合いへし合い中世風みたいな
> ‥神世とした暮らしをしていた所に魔王登場みたいな流れくさいどえす


 現代社会で言えば「魔王」=「軍事科学」でしょうね
 (儲ける脳にしか無き科学なんざ魔王も同然だ)


 だがしかし、その土木云々‥有るべき役回りをドワーフという種族で片付けてきたわけですから
 思考停止に陥ってきたどえす

 そこのドワーフとの違いを演出しようとすると、そりゃまぁ、寿命の長さから
 熟練したドワーフのそれは、それこそお婆ちゃんの知恵袋みたいな取り扱いになるでしょう
 (エルフにしたって同じでしょう)

 其を逆に見れば、人の年齢と差無きドワーフやらエルフなんて人並みという次第でしょう
 でも、見た目の特徴が甚だしいので、お互いに交わりがたいプライドを抱え持つどえす
 (ヒト族の王家にしても、ヒト族同士が好いみたいな比重が高いどえむ)


> 歴史的な経過で問うなら、ヒト族の方が圧倒的に繁殖力が高かったので
> ドワーフやらエルフの影が薄くなるのも、織り込み済みだったみたいな
> それを阻害する効果を持ち合わせたのが、スタンピードみたいな


 魔王なんて無理して描かんでも、お調子者のチート火力馬鹿が居るだけで代替と禍する
 でもまぁその手の歴史が無いと、言葉として創出されないどえす(悩ましい!)


 (そういう社会構造にしてしまえば、難しいことを端折って描けるかも‥)
 (それにしたって、土魔法師たるアイデンティティーの投入は、その都度に欠かせまい)



posted by 木田舎滝ゆる里 at 14:31 | Comment(0) | ネタ文学 | 更新情報をチェックする

【ネタ文学】矛盾こそ摂理か?

記稿.2023/09/19

> 真我と自我を野球に例えてみよう


 いつでもホームラン打者(打率十割)
 いつでも三振ピッチャー(防御率十割)というのを、誰しも夢に馳せるわけだけど

 そんな王者の心理を想像してみよう

 ズバリ‥「野球なんて簡単でつまらないスポーツだよね」とそう思うに違いない


> そこを慮れるか否かが、真我と自我の相異に他ならないかも知れないな
> (自分自身に対しても、他人に対しても)


 ‥ところが私たちは、そうあれたなら格好いいだろうなあとしか頭に無い
 ‥不滅の記録を打ち立てられたならスゴイだろうなぐらいしか頭に無い
 ‥上手ければやるべきとしか頭に無い、それが才能だとか、贈り物ぐらいにしか頭に無い


> つまり、凡才ゆえに夢馳せる私たちは、そこを推し量れないので自我が濃い(エゴ)となる
> とくにお子様の夢見がちなそこん所なんか、とても自我が濃いことになる


 (‥自我を薄くしろなんてのは)
 (実のところ‥子供や青春なんかそういう意味では‥全然可愛くないと言っているような話だz)


 他者に「生きることは素晴らしい」類の口を叩いておきながら
 てめえが極まってしまうと、途端に窮まったかの様に「つまらないよね」と吐き捨てる

 この卓袱台返しとしたモチベーションの低下こそ突然としていて恐ろしいわけだけど
 人それぞれなんでまぁしょうがない(他者を理解する為にも色々と心は揺れるどえす)


> 下手な側からすれば、羨ましいくらいに下らない悩ましさな訳ですもん
> そして下手ゆえに、上手の悩ましさなんかお構いなしに憧れるのだ
> (自慢し・されるぐらいが楽しいひとときかも知れないのに大変な線引きだz)


 (だがしかし、そこに興味を持ち合わせない御仁もまたゾロゾロと居そう)


 でも、私たち側が、なぜ王者とした側に憧れるのかというと
 肖りたいから、勝利の美酒に酔いたいからに他ならない

 そういう色の付いた様をエゴというのであって

 絶対無敵なんて有り得そうに無いからこそ期待したくなる‥みたいな
 糞謎めく心理に突き動かされてもしまうのだ


 さらに言うと、その手の常勝とした色を付けたくなる欲求に濃い輩ほど
 期待外れだったりすると、難癖やらケチやら悪態を吐くのが大好きだったりするどえす
 (とても不思議な人達です、掌返しがご趣味みたいな)


 ‥誰にだって未熟を感じるという幸せも有るからこそ
 エゴに絡んだ自我の側の世界に居られるという話なわけですから
 それに対して悪態を突っつくって事は、真我の側に追い出したいオチみたいどえす

 (居なくなりやがれとした意味は同じなんでしょうけど、まぁ、こんがらがってきます)
 (宇宙的に見込みがありそうに見えるから、そういう空気を引き寄せちゃうみたいな)


> これを文学のネタとして捉えると
> 悪態を付くような輩ほど、油断が付いて回るのだから、それに馬鹿にされても
> 頑張って喰らい付けば、踏み超える可能性はゼロでは無い(超え行くのは当たり前)
> とした形はありきたりなのでは無く、アイデンティティー次第だ


 ‥つまり何が言いたいかというと
 「失敗こそ面白い」というと角が立つが
 「失敗もあるから面白い」という矛盾こそエゴの世界だというオチどえす

 (仕事のモチベーションが上がらないのは、その矛盾を否定してしまうから‥)
 (「失敗をしてはいけないのだ」とのエゴは、おいしくないし、おもしろくもない)


> エゴを薄くするとは、エゴにもおいしいとおいしくないがあるので理解しましょう‥みたいな
> (そこに好みの差がまたあるという無限性‥其は、成功と失敗とした矛と盾の差でもある‥)



posted by 木田舎滝ゆる里 at 02:29 | Comment(0) | 日記/2023 | 更新情報をチェックする

2023年09月18日

【ネタ文学】王国造りとは、土木のその後みたいな

記稿.2023/09/18

> 豊かな王国(王都)造りの第一歩とは、地形との出会いである


 ‥四神相応のイメージをお手本にするなら
 東に川が流れてて、南に豊かな土壌やら海が広がっていて
 北には陵丘とした高台を得られ、そのさらなる後ろに山々嶺々を讃え
 西に広がる余地がある

 ってな話になるのだろうけど


 ‥それは、木材利用を主体とした東洋でのお話で
 石材利用とした西洋では事情が少々変わってくる

 まず、地下に石材を得られないのでは、城塞の構築には時間が掛かる
 地下に石材を得られるなら
 計画的に掘り出すことで、後々的に地下水道を得られる(この差は大きい)

 だが、石材を得られる=地下水を得難い可能性を潜める
 なので、地下水道を張り巡らして流し、その上に井戸を設けて組み上げる感じだろう


> すると、その間の水源として川は必須であり
> その川の川下に向かって土壌が広がっていないのでは、食糧の確保が怪しくなる
> (両立した地形を得るのは中々に難しそうだけど‥日常だったくさい‥)


 始まりとしては、陵丘側に城を設けて城郭を築き(町:のちの貴族区域)
 その周囲に農地として(村)が点在するも
 後々的に城郭をその周囲に広げて、総構え風に二重の城郭を得たいにせよ
 地下に石材を得られないとなると、地場だけで計画的に押し進めるのは険しい

 その時、石材を運ぶ為の資材として、諸々の装置を用意するのに木材は欠かせない
 結果的に、西に街道が広がるよすがとしての森林が求められる話になる


> そんな上手い話があるのかどうかなんて知らないが
> それだけの土木計画を有していたとなると、土魔法の立場はグッと上であるはずだ
> 石造りと魔法を前提にした世界観を扱うなら尚更だろう(作家らの見積もりが甘過ぎだった)


 ‥戦術としても、それだけの土木技術を有していると
 土竜戦法はごく当たり前、西洋の城が水堀で固めて跳ね橋あり傾向を見せるのも理解できる


> で、それだけの土木部隊が仕事を失うなんて行き詰まりはあり得ない
> すると一番に手っ取り早いのが内乱だ(内乱規模で十分に思われる)
> それも、定期的に内乱して欲しい‥みたいなノリになる(それが中世風異世界での戦争観)


 すると、内乱派と侵攻派に分かれることでしょう
 侵攻派からすれば、ゼロから新しい都市建設をやらかしたい‥なんて角度もありそうです

 とはいえ、そもそもが土魔法部隊でもあるわけで
 戦力としては片手落ちなわけで、協力して貰えないと戦争を仕掛けても勝ち抜け無い
 (そんなこんなで、抑制を受けている感じの日常色から、創作の見積もりに甘かったのでしょう)


> ぶっちゃけ、国王が脳筋火力出身で、土木知識ゼロなんてのは国造りとして論外‥みたいな
> (項羽と劉邦の違いなんてそんなところなんじゃねぇの)



posted by 木田舎滝ゆる里 at 17:22 | Comment(0) | ネタ文学 | 更新情報をチェックする

2023年09月17日

【ネタ文学】異世界のトイレ文化デザインは悩ましい

記稿.2023/09/17

> トイレ文化=下水道文化でもある
> 水洗で流せば良いのがそもそもの着眼なんだけど
> 糞尿をそのままに垂れ流すのは、それはそれで悩ましい人口問題を誘発する


 ‥単純に地下水道を網の目の様に表現している作品も見られるが
 それはそれで相当な土木技術が伴っていないのではお話にならない

 浄化装置をスライムで省略していたりするが、水陸両用なんだから、管理に疑問点が積もる

 そもそも下水道だけ完備しておいて上水道が無いのは不可解しい
 どうやって水で流すんだよと、ツッコみたい

 スライムだって、住まうなら綺麗な水の方が良いに決まってる
 食事場として下水道に通うにしても、上水道で休みたいに決まってる
 なぜなら、綺麗な水には生きものが集まるからだ
 そういう習性というか本能は代え難いのだ


 昔の中華豚が悪食で、人の糞尿まで漁っていたなんていたって
 今時代の穀物餌にありついたら見向きもしなくなるはずだ
 そのぐらいの違いは、どんな生きものにだってある


> ローマ帝国が、コロッセオでの海戦をやらかした設備はまさに上下水道完備の象徴だ


 古代にそれだけの土木力を有するという事自体が、国の大きさに直結してくる話だ
 だが、技術者が移り渡って、伝承したとも考えられるので
 技術そのものの発想は、そんなに難しいことでは無いとして扱えるわけだけど
 結局の所の人員の導入が肝で、貴族が投資を渋る様なら実現する所が無い


 そもそものローマにしたって、トイレは付属サービスで
 本丸は風呂だったからこそ成立したとも言えるだろう


 (その風呂にしたって、風呂焚き奴隷が二十四時間薪をくべていたそうである)
 (そこまでやっていたとなると、国力云々以前の人間性を疑いたくなる話だ)


 なので、トイレだけでやろうとすると渋られるに決まってる
 日本文化にしたって、温泉につかった後で、トイレで汚れたくないと思えばこそ工夫したみたいな


> つまり、どう考えたって、風呂が目的で、トイレはおまけなのだ


 この心理は絶対で、被災の際に自衛隊が風呂を運べなくなった地域から
 若しくは温泉利用を利権根性で阻害したりすると、途端に汚物問題が肥大化する事に成る

 さらに

 今どきの工事現場の仮設トイレはなぜかそれほどに臭わない
 それはなぜかというと、利用する現場要員の食べ物に絡んでいる
 それぞれが煙草との関連から缶コーヒーを習慣的に飲むわけだが

 それの香料がまったくといって良いぐらいに消化分解されずにニオイがそのままに蓄積されていく
 つまり、それらが糞尿とした汚臭をそれなりに消臭している感じになっているくさいのだ


> それに対して昔は塩分の濃い食事だったので
> 糞尿に塩分が蓄積されるので、黒南風のような異様さが甚だしかった事に成る


 つまり、大震災と化して、食事の味付けが次第に塩味のみに切り替わると
 もとい、輸入が止まって、塩味頼みに切り替わると
 (腐敗防止とか節約とか諸々の理由から、問答無用で塩味が通例と化して)
 途端に人糞の質が変化して、ニオイがキツくなる可能性を見せるだろう


 ‥すると

 個室としたトイレより、集団型トイレとした様式の方が、した後のニオイを分散できるとして
 ‥好む好まざると‥
 ベターな選択肢として扱われていた可能性として浮上するのだ


> 昭和の国鉄男子トイレが、個室タイプだけだったらと思うだけでも堪んねぇわけッスから



posted by 木田舎滝ゆる里 at 17:41 | Comment(0) | ネタ文学 | 更新情報をチェックする

2023年09月16日

【生老病死】生の苦しみって具体的に何?

記稿.2023/09/16

> ズバリ、しがらみとした流れのことを指しているのでしょう


 ‥八正道の@正見(正しい見解)、A正思惟(正しい決意)、B正語(正しい言葉)
 とした中身自体が、人間関係でトラブルを生まない為のポイントを述べている‥みたいな

 さらに、 C正業(正しい行為)、D正命 (正しい生活)、E正精進(正しい努力)
 なんてのは、「あなたは何がしたいですか?」とした問い掛けに聞こえなくもない

 さらに、F正念(正しい思念)、G正定(正しい瞑想)
 なんてのは、「あなたの理想はどこを目指していますか?」なんてツッコミだろう


> 「生」の苦しみと「死」の苦しみが両天秤で等しい扱いなら
> 死後の世界にもしがらみが有るどえす(逃れられないフラクタル構造どえむ)


 ‥だがこれは、現代人が俯瞰した場合の仏教観だ
 昔に仏門に入って修行してとしたセオリーで眺めると、混濁した意見としてツッコまれるだろう


> ところで、釈迦はいつから派閥苦、組織苦に悩んだのだろうか?


 王子の頃から、「また戦争やってるよ馬鹿なんじゃねぇの」などと思うお子様だったのだろうか?
 それだったら、しおらしく‥師を求めてあちこち尋ねたりしたのはなぜだろうか?
 まぁ王宮暮らしが億劫だった向きは見られるにせよ、結婚もしたし子も居たしで
 なんだかんだと、周りの空気に流されているというか、座り込んでいた様に思われる

 でも、全部投げ出して、独学を始めたわけである
 (実際には、霊が降りてきて教えも受けたのだから‥其を終わりまで独学だったとは言わねぇ)


 ‥現代人からすると、馬が合わない・反りが合わないからそうせざるを得ない選択肢
 に見えるのだろうけど、純粋な探究心に突き動かされている人に
 派閥苦も組織苦も、とくに気に留めてなんか無い(関係ない)


> では、いつ頃から「生老病死」を唱えたのだろうか?


 これには、正しい死の概念として、あの世に付いての理解を得ないと
 只の妄想・願望・偏見とした見方になるばかりなのだから
 修行も進んで、理解を得た後と予想する


 「改めて俯瞰すると、生きるのってこんなに苦しんだ、ハードなんだなぁ」とかなんとか


 (そして、それには確かな裏付けとした事象が潜んであった‥)
 (宇宙の歴史はそれこそ糞糞糞でどうしようもない実際だった‥みたいな)


> だが仏陀として、「人生とは本来楽しいはずのものなんだ」
> ‥なんて言ったのか言ってないのか‥


 謎めいて紹介されてあるのが、「仏国土」概念である
 (そうに語っていないなんて不可解なだけどえむ)

 そもそもにして、仏国土の到来を叫んでいたのが大乗仏教くさいわけだし
 そっちに嗜好が傾いていると、どうしたって
 座禅とした修行なんて、すっとこどっこいべらんめえだったはず‥

 だがしかし、そんな話は1ミリも聞いた試しがねぇ
 結局は、派閥割れした所の大乗なわけだから、弟子達こそ、派閥苦・組織苦を抱えざるを得ない


> そしていつのまにか、仏国土とした概要だけが一人歩きする所となり
> 悟りさえすれば入れる極楽とした概念にすり替えられたくさいと‥
> (それの劣化恐怖終末強調版として登場してきたのがキリスト教だったくさいと‥)


 ‥折角、「生老病死」と唱えられてあるのだから
 悟れなければ、それはそれで地獄に片足も同然なんだし
 「本来、人生は素晴らしい」だなんて教えなくても良いじゃないか‥みたいな

 (バラモン教=カースト制度社会でもあったわけだし)

 (私たちは、そういう糞な端折りをやらかす不誠実な世界に生きざるを得なかったという下り)


> 端折りをやらかせばやらかすほどカルマが歴史算として巨大化し
> それの解消として、日々、トラブルまみれの対処・対応・対策に振り回されるどえむ
> それにしたって、やってる感だけの組織もあるあるなので、カルマは増える一方どえす


 (著生は、カルマとは、世界樹本来の絵図(実りたる味わい)から逸れる事だと思ってます)
 (諸々悩ましくなることで、選択し難くなる心の弱さとした積み重ねこそカルマ‥みたいな)



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2023年09月14日

【ツッコミ隊】一億玉砕と一億中流の一億の中身が異なる件

記稿.2023/09/14

 大日本帝国の領土拡大により、大本営が口にしていた一億とは
 本土民の総数に非ず、大東亜共栄圏全体とした想定だった

 と仮定すると

 敗戦後に分割された日本の人口は、七千万人を割るぐらいに思われ
 戦後三十年を得て、毎年に平均人口増100万人計算で足せば
 一億中流を得られる流れくさいのでーす


> とまぁちょっとした思い込ませテクニックが昔から用いられて来たどえす


 つまり、日本の人口がそのぐらいに落ち込むと
 一気に敗戦時代色濃厚になるどえむ

 しかも焼け野原に非ず、ゴミヶ原と化するんです

 そのゴミをまず片付ける所から頑張りましょうになってきます
 しかも環境汚染物質あるあるなんだから、もうめちゃくちゃやん



posted by 木田舎滝ゆる里 at 23:29 | Comment(0) | 日記/2023 | 更新情報をチェックする

2023年09月13日

【ボケテミ隊】おっぱいストレスを斬る

記稿.2023/09/13

> 恋愛観なんざ人それぞれだが
> 日本男児には、男を立ててから‥なんて矜持を抱え込んでいたりする


 ‥まぁそれにしたって、全部の男子に当てはまる事ではない
 男にはそういう不思議な奴も居るぐらいの範疇だ(昔はそれなりに見られたのだろうけど)


 ‥色ボケた女子がそこをどう理解するかは知らんが
 男子のそこん所を吟味すると
 ヒトには、どうにもその手の矜持(記憶)を抱える者と抱えざる者とで二分するらしい

 女にしたって、ある程度、男にその辺の生活力を期待している向きもあるんだし
 そうあることに不思議なんて無いも当然としたスタンスにあろう‥


> では、そこん所を女子に変換したらどこに注目と期待をもたらすだろうか?
> まぁそれが「おっぱい」だ‥


 男に生活力を期待するそもそもが、子育てを意識した幸福感である
 だがしかし、最終的には、おっぱいが出ないと子育ては不可能だ

 (人の性格が、食べ物で形作られる部分もあるなら、自分のおっぱいで育てるのがベストだ)
 (性格こそ自分に似て欲しいなら尚更だz)

 ならば、女が男の生活力の甲斐性のあるなしを気にする様に
 男が女のおっぱいの中身を気にするのも本能だ

 (とやかく言っても始まらない)


> それは、誰か期待な遺伝子の多寡の差とも言えるのだ
> それは、誰か依存な遺伝子の多寡の差とも言えるのだ


 更に、人の性格が、食べ物で形作られるなら
 おっぱいの質を高める栄養の得られ様にしたって同じ事で
 手軽に気兼ねなく栄養価を上げられる環境に居合わせていたなら

 その手のおっぱいを飲んで育つお子様の性格は、多寡の差に鈍感にもなっていそうである

 であるのが真相なら、それは、おっぱいが大きいか小さいかでは無く
 活力たり得たか得なかったかの記憶の差とも言えるだろう


 ‥ならば、現代社会のせせこましい都合から
 乳児用ミルクなどという何からできているのかすら、ちょっと疑わしい其れで育てていりゃ
 そりゃまぁ昔とは随分と違って、体力低下が見られたって不思議は無い


> 医食同源にあった中華の知識にしたって、山羊の乳が良いとしているわけだし
> 只単に味の濃さだけで選んだ牛の乳を、安全安心と信じ込んでいるのもどうかなのだよ
> 環境問題(メタンガス)を考えてみたって、山羊の方がよさげにある‥


 さらに、絵を描く際にも
 わざわざ‥おっぱいを大きくしないと気が済まない症候群をもたらしているのも
 牛の乳で育つからであり、牛肉を好むほどその手の傾向を見せるのだろう(予想)

 (牛絡みの摂取には、幻惑効果があると問わざるを得ない)

 動物の中でも、おっぱいを主張してるの牛だけだしな


 ※ マサイ族のような牛の乳頼みの民族も居るわけだし、そもそもの環境とスタイルが違ぇし
 (牛の存在自体を否定する意図は無い)
 (牛を摂取したいなら、マサイ族ぐらいに「走れ」の意味合いに思われる)



posted by 木田舎滝ゆる里 at 13:15 | Comment(0) | 日記/2023 | 更新情報をチェックする

2023年09月12日

【ツッコミ隊】記憶を失って生まれることは、祝福だろうか?呪いだろうか?

記稿.2023/09/12

> 記憶を失って生まれると言われても
> 気が付きゃいつの間にか「私」という感覚が有り
> それがわたしという肉体に関連付けられてある


 誰だろうと、それが気に入るも気に入らないも知ったこっちゃない話で
 私とした自分との付き合いをせざるを得ない

 (記憶を失う事への恐怖なんか1ミリも覚えちゃいないのだ)

 だが不思議なことに、一つ一つのことを覚えていく事への好奇心は人それぞれでバラバラだ
 特定の分野になると生き生きとしてスイスイと頭に入っていく
 そんな感覚は、覚えていくと言うよりは、思い出している最中なのだろう

 (だが誰しも、それを適正だと判断し、思い込みたくも、地球の人口は多すぎる)

 ‥負けず嫌いで色々と試してみたけど、結果知れたのは、自分が器用貧乏だった事実とか
 ‥負けず嫌いで一途に頑張ってみたら、実は一つのことしかできないタイプだったとか
 ‥負けず嫌いで凝り性で、それこそ周りが見えない職人肌だったとか

 (負けず嫌いも程々にすれば良いのに‥と思うも止められないのだ)


> そんな負けず嫌いの御仁らが、例えば、自分の正体だけを覚えていたとしよう


 正体を知っていたって、それに見合った遺伝子を内包してなかったらどうするよ
 それはそれで相当に頑張らないと、正体に恥じぬ実現を得るに及ばないのだ

 死ぬほどに泣きたくなるほどに大変だと初めから解っていて目指せるだろうか?
 それとも、肉体の可能性と相談してから、適性を確認後に、目指すべき目標を変更するだろうか?

 (まぁ自分の正体とした前世なんちゃらとは時代も違うし、同じ事をする必要も無い)
 (だが不思議と‥上か下かでしか見ないプライドありきなら、堕ちやすい‥)


> では、自分の正体は忘れて、様々な情報だけを覚えていたらどうだろうか?


 所謂、神童になぞらえられるタイプだが、情報の質次第では、途中で息切れするだろう
 その間に、いい気になって好奇心を磨いていなかったなら、一気に落ちこぼれにハマるだろう

 だが、どこまでも知ってる様な情報ばかりだと気が付いたとしたら
 自ら好奇心を発揮して切り開く骨を見せないと、それこそ、すべて情報は誰かの知識だ
 自分は神か何かに思っていたのに、自分では何も発見できない人伝頼みのポンコツに悩むだろう


 ‥だがしかし、それもこれも競争のある社会だからこその、ストレスまみれに満ちた話になる
 否、競争意識が強いからこその流れだ


> 記憶を失っても、競争意識(負けず嫌い)だけは保持し続けるというオチがそこにある
> それは祝福だろうか?呪いだろうか?


 「祝福だ」と思うなら、多分、子供や子供時代を楽しいなどとした考えをしないのだ
 「呪いだ」と思えるなら、のんびりと過ごせる子供時代こそを謳歌したい口だろう
 「どちらでもない」なら、バランス型だ


 ‥実は、このバランス型を得るというのがなかなかに難しいのだ
 なぜなら、誰も注目していないし、願ってもいないのだから、その手のタイプの増える縁が無い

 (売上競争にお熱な社会なら尚更だよ)
 (幸福の追及にしたって、売上ありきなんだからインチキ甚だしくて馬鹿げた権利だ)
 (総合すれば、私利私欲上等、私利私欲万歳とした宣言こそ、その手の保障もとい憲法だ)
 (無い袖は振れないルールにがんじがらめにしてあるんだし、何が幸福の追求だよ)

 (本当の意味で、世界平和を望んでいない‥澱に包まれてある、困ったものだよね)



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2023年09月10日

【ツッコミ隊】記憶と繋がりの謎

↓2)記稿.2023/09/10

> 私たちは記憶を失って地球に生まれ変わるルールに在る
> ならば、記憶を失わずに生まれ変わったなら、親霊・子霊とした分離感はあるのだろうか?


 ‥記憶として繋がってあるなら
 それとしたニオイやらで、更に辻褄を合わせれば、同質の何かと思うのだろう
 そこに懐かしさがこみ上げたなら疑う余地などなかろう

 (‥私とは何か、私は何を為するべきか‥に問い悩む必要なんて無くなるのだ)


 では、なぜ、わざわざ意識の分離をし合うのだろうか?

 何も意識の分離が趣味というわけでもあるまい
 まぁ考えられることと言ったら、肉体に全部を押し込めないから
 となるのだろうけど、その肉体にしたって
 地上の側の核戦争の繰り返しで小型化したという説がある
 まぁそういう経緯になるのだろうけれど

 それはそれで、神の側も性能テストの際に肉体に転生したのだろうし
 それはそれで、状況は変わらず、全部を押し込めなかったと推理できる
 その経緯の中で、本体と分身とした形での転生になんらかの突破口を見出したのだろう


 ‥だがしかし
 多くの場合、分身には質問力が無かった、伺い力が無かった
 上からのお達しやら説明が無い限り、自ら進んで問う所が無かった

 それはそれで、通信が来なかったら、それこそ闇の中なのだ

 (まぁ分身なんだし、本体からしてみれば、世話せざるを得ないとした向きだったのだろう)
 (なので、結局は本体が根掘り葉掘り面倒を見ていたのだろう)


> だがしかし、地上に出ている側が、主体性を得ないそれに意味なんてあるだろうか?
> そう考えると、記憶を失わせるとした手法は実に興味深い提案だったに違いない


 ‥しかしその結果、激しい分離感、疎外感に襲われることになった(エゴの殻と化した)
 そうなってから、そこに宗教が登場した事に成る(エゴの強化と化した)

 それにしたって、神が面倒を見るとした宣言に聞こえてくる‥(記憶を失わせた意味あんのかよ?)

 ‥だが、魂のシャッフルとした狙いもあったかも知れない
 ‥だが、それは記憶を共にしない同士の怪しいすがり合いの渦だ(意味あんのかよ?)
 ‥シャッフルとした結果、器とする幅が広がったなら話は別だけど、そうには見えない

 (希望する器の拡がりを得たいなら、それこそ地味に、時間を掛けて積み上げるべきである)
 (シャッフルしてみようだなんて、ほとんどがインチキきわまりねぇ中身だz)
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posted by 木田舎滝ゆる里 at 22:29 | Comment(0) | 日記/2023 | 更新情報をチェックする