↓3)記稿.2023/11/16
> 私たちの世界では、何らかの作用を及ぼして、生きる糧を手に入れる仕組みに成ってます
> 仮に食べる必要が無いとしても、退屈しのぎのアレやコレに需要と供給差が付きまといます
> それらを手に入れんが為に、ルールがあるわけですが、それぞれの品位に差なんてあるの?
> 有るとしたら何がどう違うのですか?具体的にお願いします
(あくまで物を手に入れる品位に差なんてあるの?‥とした質問です)
(あるとしたら、何を前提にしてるんですか?‥みたいな)by 俺の中の心の叫び
‥物を手に入れる、手に入る、しいては引き寄せとした結果手に入る
それの過程に罪悪感を一切感じる必要が無いと豪語するならば
倫理概念そのものからして無用でしょう
‥宇宙人からして其処をツッコんできます
モノを引き寄せて手に入れるとした流れの過程に思い悩む必要は無い‥みたいな
そこに在るとしたら、今欲しいと思ったら今欲しいを画策しだす存在ありきの了承です
エグい遠回しにも、宇宙人側の内情を暴露してるどえす
またこうも示唆しています
その手の細々とした過程に「NO」を翳していると、引き寄せからして発生しません
少なくとも、如何なる状況に置いても素通りを見せるでしょう‥みたいな
> 例えば、学ぶという過程一つにしても
> 善と悪の両面を見ずに倫理価値など発生しません‥そこをどう思うかでもあります
> 得たいのは常識なのか?‥自身のアイデンティティーなのか?‥でもあります
‥不思議なことに、ルールをでっちあげてでもその管理とした席に座りたい側は
どうしたって、善とはこれこれこうで、悪とはこれこれこうだと一定の基準を打ち立てます
‥中でも一番に単純なのが「金融」です
金を貸すのは正義(発行権は絶対正義)、借りて返さないのは悪
(発行権とは発行できる側都合の指図です‥オケラでも貸し出しOK‥借りたら返せ管理します)
金の流通都合こそ正義、無理な市場介入操作は悪‥みたいな
(まぁぶっちゃけ、オケラだから調べられたくないどえす‥みたいな)
(誰かが借り続けてくれないとお金の流れとした市場は枯渇しますからね‥まさに欠陥チート‥)
‥そんなこんなで、やらかす為にも、ある程度の知恵を授けてしまうので
そこに反した行為をやらかしているとバツが悪いわけです(組織間でのお約束ありきでもあります)
そこで、巧妙にも
自分たちが画策やらかすインチキを悟られないように、様々に焦点をずらそうとします
‥発行権こそ国民主権として監督すべきなのに、なぜかグローバル企業群の裁量自由という謎
‥「国民主権」なのに、借りないと経営できないという「金融主権」へのすり替え誘導どえす
‥まさに国民主権とは、金融主権勢力から借り受ける為の国債名義なり
(無論、課税にて、返済義務ど発生しまくるん‥‥いいカモ、ATM奴隷どえむ‥‥)
> 中世と近代とした大きな差と言えばそれの金融事情です
> さらに諸々の革命・技術革新(とくに通信)にて、現代金融とした情勢を得ています
‥そこに渦巻く、手に入れたいとした念いの強さには感服するわけですが
それで善いのか?‥と思うどえす(突き詰めると、そこに及ぶどえむ)
(無理強いして奪うほどに、社会全体での持続性を失うのは明白ですからネ)
> そげな世界で、ガチで給料を得たいとか意味解んねぇし、格差ありきとか解んねぇし
> どうせ、ガチでぼっち運勢だから最底辺だし、まじカネなんか大大大嫌いだz(もとい競争だよ)
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